石は転がれと彼女は言う

朝のうちだけ、短いがしっかりまとまった雨が降った。雨が通り過ぎると冬型になる。冷たく強い風が吹く。それから寒さが緩み、また雨になる。周期的に移り変わる天気は季節の変わり目の特徴だ。今年はめずらしく春夏秋冬がはっきりした年だったと僕は思うのだが、敬愛する自由人さんはブログで「秋がなかった」と書いている。東京の夏もずっと猛暑が続き、秋は足早に過ぎてしまったのだろうか。
▼三連休の初日の人も多かっただろう勤労感謝の日も、僕にとっては怒涛の週末の幕開けだ。雨に打たれ、身体が冷えて腰が痛い。右半身が痺れる。僕ももう年だね。濡れた服が重いのか、冷えた腰が重いのかよくわからない。思い当たる節はある。中三の夏、右足の中指の根元を骨折して足の甲がパンパンに膨れたまま出場を強行した最後の大会。塾の先生をしていた頃、受験生の厄落としに生徒の前で塾の階段を転げる階段落ちで送り出し、引率した高校の前の坂道で再び転がり落ちるパフォーマンス。
▼「若いうちは無理がきくけど、年をとって痛みが出てくるよ」とまわりの人に言われ、その通りになった。当時はその日こそ痛んだものの、すぐになんともなくなった。若さゆえの回復力だろう。今驚くのは、「雨の日に痛みが出る」と言われた通りになったことより、当時はずっと先のことのように思っていた「年をとって」という言葉が、もう現実になってしまったことだ。当時のことは、まだ昨日のことのように思えるのに。
▼勤労感謝の一日前はいい夫婦の日。僕たち夫婦もいつのまにか結婚18年目を迎えた。いい夫婦の日にちなんで、今日は僕らの来し方を振り返ってみよう。この間全く波風がなかったわけではない。越してきて二年目の夏には離婚騒ぎもあった。ひとつの仕事が三年と続かず、職を転々とした挙句、突然縁もゆかりもない土地に引っ張ってこられたら誰だって愛想をつかすだろう。
▼結婚当初から下の子が小さいころまではよく撮っていた家族写真も、かなり前からすっかり撮らなくなってしまった。今、当時の写真を見返してみると、新婚当初喜色満面だった妻の顔から次第に輝きが失われていくのがよくわかる。写真は正直だ。なにもかも写り込んでいる。鈍いというのはある意味幸せなことかもしれない。知らぬが仏だね。
▼いつだったか、映画「モテキ」を見た妻が、長澤まさみの「わたし〇×クンじゃ成長できない」というセリフに痛く感動してたことがあった。妻によれば、女性ならひとり残らずあのセリフが胸にしみるはずだという。僕も若いころ、どうして好きな子にフラれ続けるのかわからなかったが、端的に言って相手が僕じゃ成長できないということなんだろう。
▼しかし僕に興味を持って向こうから近づいておきながら、つきあって僕の人となりを知ると離れていくというのはかなりへこむ体験だ。いったいどういうつもりだろう。フラれた事実よりそっちの方が気になってしまう。いや、もうよそう。こんなことに意味はない。逆さにしてふっても何もでてきやしない。

月曜はブリ照りに中華スープ。

火曜は大根煮に鮭とエリンギのソテー。

水曜は撮り忘れ、木曜は根菜カレーにキャベツ酢。

そして今日は根菜の炒め煮にクラムチャウダー
▼「オマエラの代わりにオレが落ちてやる!」と叫んで階段から転げ落ちる僕に最初目を丸くしていた子どもたちは、ややあって歓声をあげた。受験前の緊張感から解放され、いい景気づけになったことだろう。当時僕が私淑していた先輩講師は、僕のこの技を塾の先生らしく英語で「ヘルカ―」と命名してくれた。将来ある女性の躓きの石とならないよう僕は地獄までも転がっていくつもりだった。