杞憂

先週来二、三日おきに雨が降る。雨の後は強い風にのって寒波がやってくる。そしてその寒波もいよいよ列島に居座るらしい。二十四節気大雪の今日が寒さの底。一雨降って二番底の日曜も10度を下回る厳寒の予報だ。今日は早くもとっておきの奥の手フリース重ね着カードをきってしまった。
着ぶくれて首が回らぬ師走かな
▼笹子トンネルの天井が崩落して9人が犠牲になった。30年以上湿気と振動にさらされたアンカーボルト一本で、重さ1.2トンのコンクリート板が支えられていたと聞けば、構造計算がどうであれシロートなら直観的に「大丈夫かな」と心配になるはずだ。あるいは点検は目視だけと聞けば、誰でも「暗いトンネルの中で5.3メートル先の吊金具って見えるんか?」との疑問がわく。
▼安全か危険かの判断には、このごく普通の感覚が重要である。だが往々にして専門職の人ほどシロート感覚に欠けているものだ。それは慣れと油断に由来するのだが、要するにたかをくくっているのである。安全対策にルーチンワークはありえないはずだが、定期点検は実際には点検でなく「点検した」というエクスキューズと化している。
▼コンクリート板を支える肝心要のアンカーボルトがどうして目視による点検になってしまうのか。その前に長いトンネルに2メートルおきに下がる無数の吊金具は一本一本点検されるべきチェック対象になっていたのか。点検員は天井裏にあがったのか。そもそも定期点検とは何を点検するものだったのか。詳しい解説をきいたわけではないが、ニュースで概略をかいつまんだだけでも様々な疑問が浮かんでくる。
▼暗い場所で5.3メートル上のものを点検するには、普通は照明と足場が必要だ。それが定期的なものなら、点検のつどの仮設ではなく常設の照明と点検歩廊を設置した方がいいだろう。コンクリート板で二層にするやり方をやめて換気扇など機械式に変えるなど、トンネル内の換気方法そのものを変えてしまってもいい。ただし費用はかかる。
▼薄暗いトンネルの中を高い所にも上らず懐中電灯片手に端から端まで歩くだけの点検では「なめてんのか」と批判されても仕方あるまい。そしてひとたびこういう事故が起きると、マスコミは日本の安全神話の崩壊だとか老朽化したインフラの維持管理に莫大な経費がかかると大騒ぎする。だが極論を言って不安を煽っても何の足しにもならない。現実的な考えというものは常に地味で見栄えのしないものだ。それはおそらく無防備と過剰反応のちょうど中間にある。
▼照明と点検歩廊をアンカーボルトの直近につけて日常点検をしやすくする。各道路会社の職員は、保守点検のエキスパートで構成されるようにする。換気システムをそっくり変えるには莫大な費用がかかるが、照明と点検歩廊なら大手ゼネコンやプラント企業でなくても地元の電気屋金物屋で十分だ。
▼無批判に安全神話にもたれかかるのも、いたずらに底が抜けるのを心配するのも、無策という点では同じである。話が極端から極端にふれるのは、日頃から物を考えていない人に典型的な態度だ。僕も若いころは一か八かみたいな考え方がカッコイイと勘違いしてたけど底の浅い人間だったね。
▼火曜はシチュー鍋。

水曜は業者仲間の忘年会。仕事上の貸し借りもあってメンバーのひとりに4次会3時までおつきあい。最後に行く店は毎回彼のお目当ての娘がいる店と相場は決まっているのだが、温厚な僕もさすがに疲れて対応がぞんざいになるのか、その店の女の子に僕はキレやすいドSキャラと思われているらしい。
▼水曜のカレーがスライドして木曜はカレー+お好み焼き。なんだか二人分食べてるみたいだ。玄米に野菜ゴロゴロカレーは食べにくいけど五穀米ビーンズカレーは相性抜群だ。

東北でまた大きな地震があった。行ってる仲間が心配だ。