旧正月

ここ数日、凍えるほどの寒さである。このあたりはめったに10度を下回ることはないが、気温が一桁になると顔や手など露出した部分が痛い。まさに身を切るような寒さだ。
▼下の子は部活から帰ってお風呂に入ってご飯を食べるともうフラフラなので、夜会える確率は半々くらいだ。朝は僕と彼が6時前から起きている。長男と妻はお寝坊さんだが、お弁当を作るのと僕らの朝ごはんの用意があるので、妻は6時過ぎにはしぶしぶ起きる。本当は僕だって寝ていたいが、仕事があるから仕方なく起きる。下の子も宿題してないからバネ仕掛けの人形のように飛び起きる。
▼朝食は下の子が宿題が終わる前に出てくる。たいていは前の晩のカレーがパンの上に乗ったものか、前の晩の鍋か味噌汁にご飯を入れて温めたものだ。僕はテレビを見ながら自分の分を食べる。僕が食べ終わると、テーブル周辺の空気がにわかに緊迫してくるのがわかる。慌てて宿題を片付け朝食を抱え込む下の子。「今とろうとしたやろ」「そんなことするわけないだろ」「いいや、こっち見たもん」下の子の不信感を解くのは容易ではない。
東シナ海を挟んで対峙する日中の緊張関係も、わが家の食卓のようなものだ。確かに下の子が言うように、もう少し食べたいと思ってチラ見したのは事実かもしれない。しかし子供の分まで食べてやろうと本気で考えたわけじゃない。つまり狙いを定めて照準を合わせたわけじゃなく、ただちょっと気になって首を回しただけさ。それでもあくまでママに言いつけると騒ぐなら、こちらにも考えがある。そもそもオレが稼いで食わせてやってるんじゃないか。この家に元々オマエのものなんかひとつもないんだ…
▼いつも僕に食べ物をとられるんじゃないかとびくびくしている下の子が被害妄想だと考えるなら、今回のレーダー照射事件で中国は悪くないだろう。だが下の子が怯えるのも無理はないと考えるなら、中国が悪いことになる。人の親である僕らも、子供に対して中国のように振る舞っていないだろうか。振る舞っていないとしても、心の奥底の本音では、中国と同じような自己中心的な考え方をしているのではないだろうか。家庭で子供に強権的に振る舞っている人が中国に対して憤るというのはおかしな話だろう。
▼子供であっても一個の人格にはちがいない。小国を軽く見ていいという理屈はない。自分と価値観の違う他者を理解不能と断じるのではなく、受け入れて尊重しなければならない。全く言うはやすし、行うは難しだ。それは常に努力を要する意識的な態度であるから、ストレスフルなことこの上ない。できることならすぐにでもやめてしまいたい。今日は旧暦で新年を祝う中国の春節。そして明日は日本の建国記念日だ。

土曜は明太クリームうどんに揚げラビオリ。

今日はナポリタンに照焼チキン



バレンタインが近づいて妻のお菓子作り熱に火がついた。早すぎるだろ。しかしこれは親子紛争の火種になりうるに十分な魅力的な島々だ。