桜散る

昨晩は随分冷え込んで、今日も寒くなる予報だったので、身構えていたら日中はポカポカ陽気である。もう3月も終わりだ。花曇りという言葉は共通語だが、花冷えという言葉は夜桜見物する人のためにだけある言葉かもしれない。
▼これだけフライング桜が咲くと、同じ地方でも満開のところもあればまだ花もつけてないところも出てくる。僕が今通っている事業所の斜面の桜は、やっと花をつけ始めたところ。この頃の桜が一番好きだ。朝の蕾が日中の陽気で見る間に花開いてゆく。ポツポツあるいはパッパッと、振り返るたびに景色が変わる。花咲か爺さんのような童話も生まれるはずだね。
▼昨日は久しぶりの夜なべで深夜になり、妻にキレられてしまった。長男が日帰り合宿で毎朝早いのに殺す気かと食ってかかる。あんまりキツイキツイ言うので、「オレだってキツイよ」と言い返すと、「当たり前やん。男は仕事しかできんくせに。そのたったひとつの仕事すらせんつもりね」と言われてしまった。ごもっともです。
▼女性はホントにたいへんだと思う。息つく暇もない。坂井真紀がフルタイムの母親役で出ている味の素のCMのまんまだ。でも墓石屋に勤めていた頃、同世代の職人から「〇〇ちゃん(僕のこと)とこみたいに家事をちゃんとやる女の人なんてイマドキいないよ」と言われ、「この人いったいどんな女性見てきたんだろ」と思った僕は幸せな方なのかもしれない。
▼今日で他所の事業所との二足の草鞋生活も終わり。たまりにたまった事務処理をやらなくてはならないが、明日朝が早い長男といっしょに起きることにして、今日は妻のために直帰する。時間がない時の気分転換はCD購入が手っ取り早い。中古ショップに寄ってパットメセニーの「オフランプ」を買う。エロ本作ってた頃、編集室に自分のラジカセ持ち込んで、パットメセニーのテープをエンドレスに流しながら投稿写真に目線入れる自分に酔っていたら、競馬誌の女編集長に「ちょっと小さくしてくれる?」と文句言われたっけ。
▼あの頃の僕は外食産業に就職した弟が出て行った後の部屋に住みつき、岡崎京子の「ファンシーダンス」なんか読みながら、その岡崎京子がどっかで「今パットメセニーにはまっている」と書いているのを読んでパットメセニーを聴いたりする自分を、上京八年目にしてようやく東京の住人らしくなってきたと感じていた。
▼世紀の大失恋から一年もたたないうちに、性懲りもなく僕は記憶していた番号をたよりに彼女に電話をかけ、巨人ヤクルト戦に誘い出した。実のところ、ただのエロ本の原稿取りのバイトにすぎないのに、当時の僕は学校をやめたことで自分がいっぱしの社会人になったつもりでいたんだな。そろそろ初夏になろうかという季節に、底冷えする神宮球場は花曇りの今日よりずっと寒かった。
▼パットメセニーを聴きながら岡崎京子を読み、勃起せずにエロ写真に墨を入ることができるようになり、マスターのお店で正体をなくすこともなくなったのは全部その後のことである。そんなことが大人になることではないだろうが、あの後僕が「彼女に会うことはもう二度とないんだ」と悟ったのは確かだ。

日曜は釜揚げうどんに味ごはん、メンチカツにササミとキュウリのサラダ。

昨日は日付が変わる頃にチキンクリームパスタにアボガドデイップのパンプレート。

そして今日ははんぺんグラタンにチジミ焼きにベーグルとポテトのプレート。