国家、宗教、鬼嫁

週末は予報通りの雨模様となった。各地ともずいぶん冷え込んだようだ。僕が住んでいる地域は多少寒々しかったものの言うほどでもなかった。今日はもう五月晴れの青空が広がっている。季節はめぐるもので、逆戻りするものではない。
見渡せば五月の空に鯉のぼり
▼日曜はめずらしく仕事が休みだったが、わが家は全員が5時起床。子供の部活が本格化してからというもの、土日を問わず、ていうか遠征や試合があるのでむしろ平日より朝が早くなった。妻などは週末を迎えるのが恐いという。子供二人を送り出して午前中はテレビ三昧。容疑者が拘束され山は越えたものの、興味はやはりボストンマラソン爆破テロの続報である。
▼銃撃戦の末兄は死亡、弟も重傷を負ったようだ。イスラム過激派の関与が焦点だが、事件は限りなくアモクの様相を呈している。兄を知る者は米社会で孤立していたといい、弟を知る者はおとなしくて成績優秀だったという。取材が殺到する父親も母親もおじもおばも「テロ犯に仕立て上げられている」「チェチェンイスラムも関係ない」と口をそろえる。実行犯の二人はともかく、彼ら全員が組織的にテロを準備し、なおかつそれを隠匿しようとしているとは思えない。
チェチェン出身の二人の兄弟が、キルギスを経由して米国で永住権を獲得し、このような犯行を計画して実行に移そうと考えるようになるまでに、どのような生活がどのくらいの期間必要なのだろう。腕のいい自動車修理工だった父親は、アメリカで病を得て現在は故郷に近い中央アジアのどこかにいるようだ。母親といっしょにいるような感じではなかった。一家が新天地に夢見た希望が大きければ大きいほど絶望は深かったに違いない。
▼重傷の弟の口から動機を聞き出すことができるようになったとしても、本当の意味での事件の真相はわからないだろう。仮に1年前ロシアに渡航した兄がチェチェン独立を支持するなんらかのイスラム勢力と接触していたとしても、そのことが事件の全容を明らかにするわけではない。それはオバマ大統領の「アメリカで教育を受けた若者がなぜこのような事件を起こしたのか」という疑問に答えるものではない。
▼彼らの動機が、仮に彼ら自身でさえチェチェン独立運動でありイスラム聖戦だと信じていたとしても、それは表面的なものだ。宗教もナショナリズムも、疎外感や絶望が人の心にあけた穴に乗り移り悪さをする悪霊にすぎない。希望と幸福感に満ち足りた精神に、これらのものが入り込む余地はないからだ。憎むべきは運の悪い人間を孤立に追い込む社会だろう。それは交流サイトに兄が「アメリカ人に友だちは一人もいない」と書き、弟が「人生で大切なものは金とキャリア」と書いた米国社会そのものである。
▼昼前に雨がやむと案の定気持ちのいい風が吹き始めた。下の子が帰るのを待って海に出る。ほぼ一年ぶりの釣行である。釣り場につくと、内陸では爽やかだった風が強烈な海風になっている。隣で型のいいカレイがあがっていたが、かつて彼女にフラれて金髪になった僕は、今日も魚にフラれてボウズだった。
▼うちに帰って超人気大家族番組「ビッグダディ」を見る。子供たちのヒーロービッグダディの本性が、いっしょにいると鬼嫁にとっちめられてメンツを保てないので逃げ出そうとするリトルなダディであることは、もうバレバレである。ダディが長けているのは、手早いだけで雑な男の料理と、海山レジャーでのちょっとした仕切りだけだ。そんなものは子供には通用しても大人の男の長所に数えられるような代物じゃない。
▼ここまで書いてふと、「これってそのままオレのことじゃん」と気がついた。僕も釣りや虫とりは得意分野だ。子供たちのウケもいい。料理だって思いつきのレベルなら手早い方かもしれない。そんな己に気づいた僕は、だから絶対鬼嫁と別れません!そしていくらリトルダディだって、世の中でものをいうのが金とキャリアだとしても、人生で大切なのは愛と家族だということくらい知っていると思う。

金曜はキッシュに鶏と大根の煮物。

土曜はカレー。日曜はカルボナーラで写真なし。

そして今日は鯖の南蛮漬けに根菜サラダ粒マスタード和えにアボガド新玉ディップ。わが家の鬼嫁は絶好調である。