聖家族

完全に真夏である。昼下がりには陽射しを避ける場所を探すのに一苦労だ。道路脇の木陰に車を寄せて窓全開で弁当を食べる。陽射しを遮る厚い木々が邪魔をして、今度は風が通らない。休み時間の度つい自販機のジュースに手が伸びてしまう。明日から少し落ち着くというが、どうだろう。
▼今朝起きると下の子がママに検尿をどうやったらいいのか紙コップをどうしたらいいのかしつこくきいてうるさがられている。先日の野活の前は立志の誓いで悩み、帰ってきたら今度は野活を題材に俳句と短歌を考えてくれという。持っていく懐中電灯やカッパでもうちにあるのじゃ嫌だと一悶着ある。上の子の時はこんなことはなかった。検尿も検便もあったのかなかったのかわからない。宿題も勉強もきかれた記憶がない。他人と自分を比較する感覚がないので親が与えるものを嫌がった試しがない。
▼下の子が就学すると、まるで初めての子のように保護者宛のプリントが増えたような気がして、不安になった妻はジムでいっしょになる先輩ママに相談したそうである。するとそれは確かに昔からある学校行事で、単に上の子が自分でできるものは自分で処理していただけだろうという。宿題をきかないのは頭がいいというより、標語や感想文のような自由度の高いものについて、親の意見を求めないということだ。
▼ここのところ早く帰ってきていたのはやはりテストだったようで、「今までで一番できた」と言っている。いつもだいたいクラスで5番前後だが、今回は三位以内には入るだろうという。うちではゲームばかりしているのでいったいいつどこで勉強しているのかきくと、「朝。学校で。ていうか授業きいてればわかる」そうだ。手取り足取り教えてもポカンとしている下の子とは、いわゆる勉強の頭もだいぶ違うようだ。
▼同じように育てたつもりだが、こんなにも違うものかとあきれてしまう。食べ物の嗜好から顔つき身体つきや性格まで正反対なのは何度も書いた通りだ。それでも下の子が現在通っている中学校では、上の子に似ていると先生方によく言われるというから不思議なものである。上の子より手はかかるが、素直で子供らしい下の子も捨てたもんじゃない。
▼先日長男の自転車が壊れた時のこと。タイヤのチューブから交換しなければならず、あいにくスタンダードな黒がきれていて前だけが茶色になった。ついでに学校の自転車検査にひっかからないよう点検してもらう。警笛が子供の三輪車につけるようなものしかなくやむをえずそれをつけた。全てが終了し長男が押して出てきた自転車は、ちんどん屋のようにツギハギになっていた。「バラバラや…」ポツリとつぶやく長男の横で、ついていった下の子が何が面白いのかいつまでも三輪車のチリンチリンを鳴らす光景に、妻は笑いが止まらなかったそうである。目に見えるようだ。それぞれの家族にそれぞれの家族の肖像があるとすれば、うちの家族の特徴はまるで一幅の絵のようにこのエピソードに象徴される。
▼にしても最近家族ネタが多いな。その昔めったに講義に出ない僕が、やはりめったに出てこない学生が教授にこっぴどく叱られていたのを目にしてビビったが、本人のまるで屁とも思っていない態度に輪をかけて驚いた記憶がある。学校をやめてから知り合いが演出しているという芝居を観にいったら、その男の一人芝居だった。固定ファンがついているかなりの人気役者ということだったが、定番は実の父親の面白いエピソードを語る「うちのオヤジ」シリーズだった。あの頃は何をやってもゆるされた。何をやってもそこそこウケるもんだからみんな勘違いする。バブルとはそういう時代だ。家族ネタは年賀状の子供の写真のようなものだ。内輪ウケの最たるものである。

水曜はヨガカレーだが妻はヨガに行かず。今日は残りもので写真なし。

食後のどんぶりアイス。もう一週間以上前から毎日食べている。夏だね。