サブジェクト性格診断

ツバメの姿を見かけるようになった。毎年のことなのに、その時になって思い出すことは多い。蒸し暑い。台風の影響で時折雨がパラつく。だいぶ梅雨らしくなってきた。
▼テスト期間に入った下の子は、睡魔と格闘するだけで日々が過ぎていく。夕食を食べるともう起きていられず、「8時に起こしてよ」と言い残していったん寝る。これが一回目。それから1時間おきにガバッと突然起き出してきては、また「9時に起こしてよ」となるので、「眠った気がしないでしょ。朝起きてやれば?」と言うと、朝では時間が足りないらしい。
▼「その分早く起きてやればいいじゃん」となだめすかして寝かしつけてからこちら、6時、5時半、5時、4時半と目覚ましの鳴る時間が少しずつ早くなってゆく。もちろんそんな時間に起きられるわけない。何時に寝ても起きるのは6時である。とうとう妻に「かけた人以外のみんなが起きて本人だけ寝てるような目覚ましかけるな!」と怒れていた。
▼こんな調子の下の子だが、上のと違って勉強の意欲だけはある。どうやら「勉強ができないと将来たいへんなことになる」という恐怖心があるようだ。ただいかんせん今度のテストが中間か期末かもよくわからないように、ネジが一本はずれている。国語は漢字が読めない。数学もかなり苦戦している。しかし時折たどたどしい英語のフレーズを繰り返しては「ああ、英語で外人としゃべりたいなあ」と言ったり、学校で習った蛍の短歌を暗唱したりするのは、僕や長男にはない性質だ。
▼二人とも自然現象に興味があるのか理科に苦手意識はない。その代り人間の営為を学ぶ社会科はからっきしである。先日のジェネレーション天国で、バナナ世代(60前後)の石の蒐集を他の世代がバカにしていたが、これはどの世代の男子にも共通の蒐集癖のはずだけどな。キーウィ世代(40前後)の僕はもちろん、マンゴー世代(20前後)にもならないうちの子たちも、一時期石ころを大事そうにタッパに入れて持ち歩いていた。
▼学習とは、現実世界を頭の中で整理しやすいように記号に置き換えていく作業である。カエルのお腹を割いたりしているうちは理科が好きだった子供たちも、たいていはこの記号化の過程で興味を失っていく。関心をなくすとは、要するに教わっていることに現実味を感じなくなるということだ。
マンゴー世代のコレクション上位には、ラインのスタンプ集めがランクインしていた。カードゲームのカードも、今やオンライン上で発行されるそうである。昨今の子供の理科離れが深刻なのは、現代の子供たちが、学習の過程で理科が嫌いになっていくのではなく、そもそもの最初から記号でしか外界と接していないからかもしれない。
▼下の子の社会が「稲作が富が争いが」状態であることは既に書いたが、長男も社会はけして得意な方ではない。歴史とは後付の理屈である。国や立場の違いによって、自分に都合のいいようにどうとでも解釈できるのは、史実も個人の記憶も同じだ。困っている人がいればお米をわけてあげたいと思うタイプのうちの子たちに、一般論は理解できないだろう。
▼音楽は二人とも音感がよく歌がうまい。長男は幼稚園の頃から歌声コンクールのエーズで、彼のクラスは必ず優勝して市民センターかどこかのイベントに駆り出されたものだ。これは妻との間で「僕に似た」「いや私よ」といつも喧嘩になるところである。上の子はいつも鼻唄か口笛を吹いている。下の子も音楽の時間に習った新しい歌は必ずうちで歌って妻にうるさがられている。ちょっとジャイアン気味だが、きっと歌うことが好きなんだろう。
▼運動神経は二人とも抜群。長男はバレー部。下の子は野球部で頑張っている。だが日ハムの大谷や阪神の藤浪のような身体能力があるわけではない。こればかりは天与のものだから仕方がない。上の子はそういうところも心得たもので、「強い大学でマネージャーをする」そうである。美術は二人ともダメ。僕に似て仕事がおおざっぱでやっつけである。
▼このように子供たちが心身共に申し分ないほど健やかに育ってくれたのは、一にも二にも妻のおかげである。子供たちの食育のご相伴にあずかって、ついでに僕の曲がった根性も少しはマシになったかもしれない。

月曜はチキンソテー。

火、水撮り忘れの後の今日は水曜のヨガカレーを使ったカレーパイに冷しゃぶ。そしてデザートは夕食の最中に妻の友人のパティシエから届いたアイスロールケーキ。