水無月の大雨

間断なく雨が降っている。梅雨に入って初めての本格的な大雨である。南下した梅雨前線といっしょに冷たい空気が降りてきて、いきなり寒くなった。下がりきった梅雨前線が上がればもう梅雨明けだ。下がるのに三日、小康三日、上がるのに三日で、7月の声を聴く前に明けてしまうかもしれない。やはり今年は季節の歩みが十日ほど早い。
▼過去ログを見ると、昨夏は比較的過ごしやすかったようだ。一昨年は、7月まで天候不順で気温が上がらず、8月になって暑くなり、いつまでも残暑が続いた。その前の年はブログは残っていないが、猛暑だったようである。順番からいけば、そろそろ猛暑になってもおかしくはない。早く来た夏が早く去ってくれればいいが、今年は夏の範囲が広いのかもしれない。
▼今年は記録的な少雨だったらしいが、今回の雨は台風4号の影響もあって、これまた記録的な雨量となりそうである。各地の水不足も一気に解消しそうだが、テレビでは発育の遅れたイネを前に「この状態で今からいくら降ってももう遅い」と恨めしげに語る農家を映していた。だがこればっかりは誰が悪いわけでもない。毎年必ず豊作というわけにはいかない。自然を相手にしていながら、彼はそのことを忘れてしまったのだろうか。
▼梅雨真っ盛りのこんな雨の日に、部屋から彼女に電話をかけてデートの約束を取りつけると、僕はその足でドシャ降りの中を新宿のビッグカメラに向かった。確か十万円は下らなかったと思う。キャノンのT90というカメラを、僕は即金で購入した。AFではなく、あくまでマニュアルにこだわった。本格的な一眼レフにするなら、同じキャノンのA1やニコンのF4など、もっとスタンダードなものを買うのが普通だろう。だが僕は通称「タンク」と呼ばれたそのカメラを選んだ。やたらに重くてピントの合わせにくいカメラだった。
▼「カメラを買う時はつきあってよ」と彼女に声をかけていながら、どうして僕はひとりで買いに行ったのだろう。梅雨明け後のデートでカメラを買ったことを話すと、彼女は少し首を傾げて考えるそぶりを見せた。「びっくりさせようと思って。でも今日は置いてきちゃった」意味のない話だ。僕はつきあっている間を通じて、彼女に一ミリも意味のある話をすることができなかった。それじゃあつきあうだけ時間のムダだろう。いつまでも意味のない話をしていられるのは、学生にだけ許された特権かもしれない。僕は卒業のアテもない落第生で、彼女は就職を控えた四年生だった。
▼彼女と会うこと以外何の楽しみもなかったのに、僕はカッコつけて「それぞれの時間」を尊重するフリをした。自分というものがまるでないのに、いや、だからこそ僕は彼女のいないところで自分独自のものを身につけようと必死だった。高校卒業以来6年ぶりに柔道着に袖を通したのも、ひとりでカメラを買いにいったのもそのためである。ただそれらは彼女にとって意味のあるものではなかった。本人が酔っぱらってカメラも柔道着もどこかに置いてきてしまうのに、他人にとって意味があるはずがない。僕はその後大学すらやめてしまった。好きで文学部に入ったはずなのに、彼女と共通の趣味であるはずの読書でさえ、実はどうでもいいものだったのだ。
▼失恋云々は抜きにして、僕は一度人生をリセットしなければならない時期にきていた。それまでの自分に、自発的に身についたものはひとつもなかった。内発的な欲求から始められたものはひとつもなかった。その時々で周囲から評価されると思われるもので自分を飾る、見栄っ張りのカメレオンでしかなかった。世間体や他人の視線ばかりを気にする俗物でしかなかった。要するに人を好きになる資格なんてなかった。そんなくだらない人間に巻き込まれた彼女が可哀想だ。交通事故にあったようなものである。
▼完全に仲違いした後もしつこく電話していた僕にやっと出た電話で、彼女は「海に行ってたの」と言った。「思い切り泳いできたわ」と言った。だからこんな大雨の日には、願わくば全てを水に流してほしいと思わずにいられない。

火曜はゴマ入り和風ハンバーグに枝豆サラダ。

水曜はそぼろごはんに夏野菜サラダ。

木曜はカレー。