全力少年

先週の大雨からこちら、梅雨前線が下がりきって、比較的過ごしやすい日が続いている。今週いっぱいは雲は多いが大崩はなさそうだ。いわゆる梅雨の中休みである。なんだかんだ言って今年も7月に入って本降りになり、海の日前に明けるという例年並みのパターンに落ち着きそうだ。
▼怒涛の土日をなんとかやりすごし、金曜に購入した「漱石の妻」を一気に読み終えた。続けていっしょに買った「「こころ」で読みなおす漱石文学〜大人になれなかった先生」にとりかかる。漱石研究には弟子の小宮豊隆による評伝、江藤淳の「漱石とその時代」、蓮實重彦の「夏目漱石論」が知られているが、その他に小森陽一氏と、この石原氏のものが記憶に残っていた。
▼このうち若いころ圧倒的な影響を受けたのは、なんといっても蓮實重彦漱石論だ。当時席捲していた構造主義批評のマニフェストである「物語批判序説」や「表層批評宣言」には蓮實氏の信条が繰り返し述べられており、その実践の場である漱石論は、マクシム・デュ。カン論(フロベール論)、小津安二郎論と共に大いに刺激を受けたものだ。
▼ただ、二言目には天才と凡庸(凡才でいいのにわざわざ凡庸という言葉を選ぶ意地の悪さはどうだ!)を峻別する氏の筆致は、逆に僕のような凡庸な徒をして、文豪漱石フロベール、映画の神様小津を神格化するのに与るだけだった。それは多くの場合、期せずして蓮實氏自身が忌み嫌う神話作用、芸術家の盲目的崇拝をむしろ補完する手助けになってしまったのではないか。
漱石の妻鏡子は、生前漱石の弟子でもある娘婿の松岡譲の口述筆記による「漱石の思ひ出」を世に出している。その中で明らかにされた人間夏目金之助の偽らざる性癖、癇癪、虐待、神経症などの赤裸々な暴露が、漱石の弟子たちの気に入らず、悪妻との評価が定着する原因になったらしい。
▼今回読んだ「漱石の妻」は、漱石自身の評伝ではない。あくまで妻鏡子をモデルにした小説であり、いわば二重にフィルターがかかっている。その意味では最初から本気で漱石の実像に迫ろうという意図も、ましてやテキスト理解の一助にしようというつもりもない肩の力が抜けた読書になった。そのことが逆に神格化されない漱石を感じるのに都合のいい心理状態につながったと思う。
▼不思議なことに、妻鏡子の目線で読まれる漱石の小説についての感想は、僕の感想にピタリと重なる。「三四郎」が一番おもしろく、「それから」が続く。それ以前の作品は戯作調でピンとこない。「門」の執筆時には体調が悪化し、修善寺の大患を経た後期三部作は短編連作の形式がとられている。
漱石ファンとしては十分に楽しめるものだが、完全なスタイルを確立したとは言い難い。おそらくこの時期に小説の形式、あるいは物語を推進するエンジンの選択の部分で少なからぬ葛藤があったと思う。最後の「道草」と未完の「明暗」に至りようやく、試行錯誤の末に独自のスタイルに辿り着いたと言えるのではないか。
▼彼は小宮豊隆が語るような、弟子たちが心酔する「則天去私」の巨人などではなかった。そんなことより僕が今さらながらに再認識したのは人生の短さである。四国松山の中学教師から、熊本の旧制五高の教師、ロンドン留学を経て小泉八雲の後を受け東大の英文学講師となる。ここまでで十年。そして大学を辞めて新聞紙上に小説を書き始めてから、修善寺の大患に倒れた彼に残された時間はあまり多くない。
▼結婚して20年、特に小説一本で暮らし初めてからの10年はあっという間の出来事だっただろう。人生があっという間であることを知っていなければ、とてもできない全力疾走ぶりである。僕はまだ本当の意味でそのことを知らない。そしてほとんどの人はそのことに気づかないまま一生を終える。

土曜日は初物のとうもろこし。口の中にも夏がやってきた。

日曜はペンネグラタンに高野豆腐に絹揚げの煮物。

月曜は鶏のカレーピカタに夏野菜サラダ。
生来の明るくおおらかな性格に朝寝をする鏡子に似た僕の妻は僕をどんな風に見ているのだろう。