僕の漱石体験

日中に激しく降った雨が夕方になってようやく止んだ。風も強く、ちょっとした嵐である。梅雨の中休みなんて書いたとたんこれだから参る。これだけ降ればもうカラ梅雨とは言えない。やっぱり梅雨入り宣言が10日早かったね。あれは梅雨のハシリだったのだ。日本海側は実は例年より10日以上梅雨入りが遅かったというから、日本全体としてはこっちの方が本当だ。梅雨入りしてないんだからカラ梅雨どころじゃない。ていうか裏日本は日本じゃないんだな。
▼さて、漱石が僕の愛読書のひとつであることはこれまでも何度か書いてきた。僕が漱石の読者になったのはわりと遅かったと思う。遅かったのは何も漱石に限ったことじゃないが。中学の課題図書で「坊っちゃん」は読んだかもしれない。高校の教科書に「こころ」が採用されていて、級友Nと議論したエピソードは書いた。人気の「吾輩は猫である」や「三四郎」も手にとったことはあるかもしれない。しかし通して読んだことはなかった。少なくとも面白いと思って読んだのは大学に入ってからだと思う。
▼それも早くて三年の後期以降、高校のクラスメイトへの恋をあきらめ、すっかり学校に行かなくなってからのことだ。なぜそうかというと、例の池袋「桃李」に指名で通っていたおねえさんに、「あら、「吾輩は猫である」なんて学生さんが読むもの?」と言われたことを覚えているからだ。いくらなんでも好きな人を想っているうちにソープ通いはしないだろう。僕は三年、四年と見事に単位ゼロだった。毎日バイトと飲み屋を往復する生活でも、恋と学業をあきらめれば本を読むくらいの時間はいくらでもあった。
▼僕はその時期に漱石の全作品を読んだ。「文学論」から「文鳥夢十夜」「倫敦塔、幻影の盾」「硝子戸の中」などの短編、随筆の類まで全てである。しかし読んで面白かったのは前期三部作以降の小説だけである。特に「三四郎」と「行人」は何度も読んだ。大学三年から六年くらいまで毎年読んだ気がする。「明暗」も友人とスキーに行った折と、水村美苗が「続・明暗」を出した時の二度は読んだ。その後痔を手術する友人に入院中何を読んだらいいか訊ねられ、痔疾小説の傑作として推奨しておいた。
▼なぜ漱石がそんなに気に入ったのかときかれれば、なんとなく身につまされたからとしか言いようがない。漱石の小説の特徴を一言でいえば、家族小説であり恋愛小説である。主人公は学生であり高等遊民だ。要するにお金に疎い人が、親兄弟親戚夫婦など近しい人間関係に苦悩する話だ。
石原千秋氏は「漱石はかなり以前から既に古典になっている。つまりもうあまり読まれていない」と述べている。今の女子高生からすれば、「こころ」の先生の過剰なまでの罪の意識は理解できないだろう。ところが普通の人なら「グズグズ考えるようなことか!」と吐き捨てるようなことを、当時の僕もクヨクヨ悩んでいたのだ。
▼恋愛小説としての漱石の作品にはマドンナが登場する。「三四郎」の美禰子、「それから」の三千代、「行人」の一郎の妻直、「こころ」の先生の妻静、「明暗」の津田のかつての恋人静子。漱石の小説に登場する女性は、恋が成就しようがしまいが、妻となっていよういまいが、主人公の男性からは理解できない存在として描かれている。当時の僕の女性へのアプローチもそういうものだった。憧れというと聞こえはいいが、要するに勝手に自分の好みに当て嵌めて、相手の実際を見ようとしないということだ。
▼家族小説としての漱石の作品は、石原千秋氏によれば、明治民法下の家督相続の物語ということになる。すなわち大家族から独立して新しい家を構える次男坊の話、核家族化する中産階級を描いた小説だ。ここでは常に得ることと失うことが同義である。家督の縛りから抜け出す自由は、庇護された高等遊民の立場を追われることを意味する。
▼今、漱石があまり読まれなくなったのは、「こころ」が現代の高校生の感覚に合わないように、作品世界と現代社会の実情とのズレがあまりに大きくなりすぎたからだろう。それは例えば、当時漱石が想定していた読者層に現実味のあった、大家族から核家族への家族形態の移行のテーマが、現代では核家族から単身世帯、あるいは婚外子家庭の増加へと形を変えてしまっているということなのかもしれない。
▼しかし親の庇護のもとから独立する時期に感じる自由への希望と不安、漠然とした焦燥感などはいつの世にも共通のものだろう。そのような時期、つまりは子供から大人になる時期に、不思議と人は恋をしたくなるものなのだ。その時々の時代背景や社会制度の条件の下、一貫して生に苦悩する人間の姿を描いたことが、漱石を普遍的な作家たらしめている理由だと思う。それにしても夜更かしして一所懸命こんなこと書いてるなんて、僕もまだまだ大人になりきれてないね。永遠のオクレニイサンだ。

火曜はマーボナスにオクラサラダ。水曜はヨガカレーで写真なし。