見る前に跳べ

梅雨空に少し晴れ間ののぞく6月最後の金曜日。今日は妻が一年で一番楽しみにしている日だ。大企業なみとはいかないが、それでも過去最大級の棒と茄子が降り込まれ、なんとか家長としての面目を保つことができた。今月は当社の決算月である。そのことと妻の歓びの日がリンクしているという当たり前の事実にも、この年まで気づかないオクレな僕である。棒と茄子の日は、国民の祝日のように誰もが享受できる権利だと思っていた。勘違いも甚だしいね。
▼今期営業的には上場2社と取引口座を開設することができた。うち1社は利益は出ていないが通期で約一千万の仕事をいただいた。その辺が評価されてのことだと思う。ただカナメの担当事業所で大型物件がなく、出来高、利益ともパッとしなかった。来期の課題はこの2社の売上を安定させること、1社については少しずつでも利益を上げていくことになる。幸い来期は担当事業所でかなりの工事が見込める。取りこぼしのないようにして、新規取引先の受注活動の原資としなければならない。
▼さて、その棒と茄子の使途だが、わが家の耐久消費財のうち洗濯機とミキサー、それに電子ジャーが近々定年を迎える。ミキサーは既にオシャカ。あとの2つはだましだまし使ってはいるが、冬場まで持ちそうもない。それから子供たちからのお年玉借金を返済する。あとは未納のまま溜っている税金や固定費の類を支払う。それらを全て済ませても、少しは手元に残るほどの額にようやくたどり着いた。棒か茄子いずれかのみ、または茄子ではなく梨の年もあったことを考えれば隔世の感がある。
▼今の会社に入って丸10年。学卒で普通に就職していれば10年で到達するであろうサラリーになるまでに、回り道して四半世紀かかった計算だ。その間大学を二年落第した末に退学し、エロ本の編集、塾の講師、墓石屋、豆腐屋をそれぞれ3年ずつ、派遣事務と業界紙記者を半年ずつやった。その15年がムダだったかどうか、知っているのは僕だけである。だからここでは言わない。
▼うちに帰って風呂に入り夕刊に目を通すと、追想録に先月3日に亡くなった中坊公平さんの写真があった。森永ヒ素ミルク事件、豊田商事事件、豊島産廃問題などの難題に取り組み解決への道筋をつけた。国の整理回収機構のトップとしてバブル債権処理の陣頭指揮にあたり、平成の鬼平と呼ばれる。日弁連会長として法科大学院裁判員制度の司法制度改革も主導した辣腕弁護士である。
▼その債権回収の際に違法行為があったとして弁護士を廃業した後は、自ら「忍辱の日々」という晩年を、表舞台に出ることもなくひっそりと送る。政界を引退した後もあちらこちらでトンチンカンな発言を繰り返す誰かさんとは真逆の潔さである。失職する前の一時期、アンケートの首相候補によく名前があがっていたような気がするが、我々もいい加減代議制に見切りをつけ、首相公選制に切り替える時期にきていると思う。
▼僕が中坊さんのことを知ったのは、長男が生まれた直後の派遣社員だった頃のことだ。森永ヒ素ミルク事件に関わることでアカのレッテルを貼られ、キャリアに傷がつかないか悩んでいた時、父親に「父ちゃんはオマエをそんな情けない子供に育てたつもりはない。赤ん坊を助けるのに右も左もあるか」と背中を押され踏ん切りがついた話など、感動のエピソード満載で夕刊の配達が待ち遠しかった。
▼ほどなく、今にして思えばブラックな業界紙記者に転身した僕は、そんなこととは夢にも思わず、日経の「人間発見」と題字のレイアウトまで同じ「鉄人列伝」というコーナーを立ち上げ、デスクマットに挟んだ中坊氏の記事の切り抜きを眺めながら、こんな記事を書くのだと意気込んだ。今にして思えば完全なパクリだが。
▼氏の人生訓は、まさに「見る前に飛べ」とでも言うべき徹底した行動主義である。活躍されていた頃に出演していた若者向け討論番組で、世の中の価値観に懐疑的なある青年が「自分が正しいと思った行為もただのエゴかもしれない」と行動を躊躇する姿に、「僕はあなたの考え方には賛成できない。とにかくやってみないと何も始まらない」と手厳しかった。口ばかりで行動できない自分を強烈に批判されているような気がした。
▼先生、僕は先生の教えをいまだに実行できない臆病物です。どうか天国から、僕の重い尻を叩いてくれませんか。

今夜はゴキゲンな妻が最高のキッシュを焼きあげてくれた。