七帝柔道記

梅雨とは思えない見事な青空が広がっている。それでいて空気だけはあくまでも爽やかだ。まるで初夏に逆戻りしたような陽気である。梅雨のない北海道は一年で今が一番いい季節だというが、きっとこんな感じじゃなかろうか。
▼昨日の日曜日、前から読みたかった「七帝柔道記」を買って読み始めたところ、これが面白くて止まらない。結構な分量の本だったが読みやすさも手伝ってとうとう一晩で読み切ってしまった。おかげで今日は寝不足の上に興奮冷めやらず、全く仕事にならなかった。
▼著者の増田俊也さんは、これまた僕が読みたいと思っている「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」を昨年上梓したばかりだ。短い間に柔道に関する本を二冊。彼が柔道家であることはもう間違いない。素人には書けないというより、やっていた人じゃないと対象にこれだけの情熱は持てないだろう。
▼奥付を見ると、案の定僕よりひとつ年上の北大柔道部出身である。四年の最後の七帝戦を終えて柔道部を引退すると同時に大学を中退し、新聞記者になっている。いやな予感がした。帯に「自伝的青春小説」「青春小説の金字塔」とあるが、小説というより、もしかするとこれはほとんど実録モノではないだろうか。
▼愛知県の高校時代に名大杯の後の練習で七帝柔道の洗礼を受けた「私」は、井上靖の傑作「北の海」を読んだりしながら想像をたくましくしていく。「七帝」とは北大、東北大、東大、名大、京大、阪大、九大の七つの旧帝大のことである。現在は立ち技中心のポイント制である講道館柔道が主流だが、その陰に一本以外に決着のつかない、かつての高専柔道の流れを汲む寝技中心の七帝柔道が存在していた…
▼ついに「私」は、その七帝柔道をやるためだけに二浪して北大の門をくぐる。だが増田さんが入学した頃の北大柔道部は七帝戦三年連続最下位に沈む低迷期に入っていた。逆に七帝戦五連覇中の絶頂期を迎えていたのが京大である。前年には寝技への引き込み禁止、ポイント制の慣れない講道館ルールで行われるインカレでも、強豪私大を撃破しベスト16入りする充実ぶりであった。
▼果たして僕の予感は的中した。読んでいて最初に「あれっ?」と思ったのは、そのインカレのスコアカードを見た時だ。京大が4−0で退けた福工大のメンバーの中に、見覚えのある名前がある。おそらくは僕と同学年のインターハイ中量級3位だった選手だ。確か腕ひしぎ十時固めだけで全国3位まで勝ち上がった寝技が得意な選手だったはずだが、それが簡単に一蹴されているところをみても京大の寝技の凄さがわかる。だがまだ名字だけなのではっきりしない。
▼それが確信に変わったのは、増田さんが入学した年の七帝戦の京大のメンバー表を見た時である。フルネームで表記された京大の選手の中に、僕の先輩の名前があるではないか。ひとりは最後のインターハイの直前、僕が乱取中腕を骨折させてしまった先輩だ。間違えるはずがない。試合の模様が詳述されていたもうひとりの先輩も、その内容は毎日乱取で手合せして僕が知っている先輩の柔道とピタリと一致する。そうか、先輩方はお二人とも柔道を続けられたのですね。
▼僕にはここに書かれていることの全てがわかる。乱取の残り本数を数えるが、全く進んでくれない時間。圧倒的な体力差がある化け物に落とされ続け、いくら小便を漏らし泣き叫んでも許してもらえない絶望の時間。ただ僕がその地獄を経験したのは中学の時だった。体格に劣る初心者が多い進学校で、強豪相手に戦えるよう徹底的に理詰めの寝技を研究したのは高校の時だった。寝技が嫌いだった僕は練習しなかったけど。大学で、僕は柔道を続けなかった。
▼繰り返すがここに書かれていることを、僕は身をもって知っている。ただ増田さんが知っていて、僕が知らない唯一のことが、あまりに素晴らしく輝いているので、とにかくまぶしくてうらやましくてしょうがないのである。それこそが人が「青春」と呼ぶ季節であり、人生で最も大切なのは、その時間を共有した仲間たちなのだ。
▼この本に描かれているのは、増田さんが経験した二度目の七帝戦までの一年半である。京大は五連覇の後、その二度の七帝戦を二度とも東北大と優勝をわけあって七連覇までいく。その三年後の今ごろの季節に、僕は最愛の彼女をつれて腕を折った先輩の結婚パーティに参加した。そこで僕は完全に浮いていた。その理由が、この本を読んでわかったような気がする。彼女だけでなく彼らでさえ、その晩そこにいたほとんどの人たちと今では完全に縁が切れてしまった。なにしろ四半世紀近く前のことである。人生は本当にあっという間だ。
▼いっしょに地獄を見た中学の時一番仲良しだった親友ともその後進路が違って離れ離れになったが、もう十年以上前に、風のたよりに札幌に住んでいるときいたことがある。

今夜は妻手作りの絶品カラアゲにワカメサラダ。