恋愛を超えるもの

幾日か奇跡的な好天が続いたが、今日は梅雨空が戻ってきた。予報では金曜まで三日間降り続く。土曜以降気温が一気に上がるところをみても雨が上がれば梅雨明けだろう。例年七夕は雨、海の日前に梅雨が明けることを考えれば、やはり少し早い気がする。
▼7月に入ったとたんパタリと工事がなくなった。そこで週半ばに休みをとった。休めば妻とデートである。高速を飛ばし一時間半、目的のアウトレットモールに到着。去年は浮気して別のアウトレットに行ったので、ここは二年ぶりである。一昨年もこんな梅雨空の日だったな。
▼半分ほど回ったところで一昨年入らず悔やんだ飲食店に。三種のお惣菜と三種のかまどで炊いたごはんがおかわり自由の定食屋である。

そのお惣菜を真ん中に挟んで僕は塩梅唐揚げ、妻は焼き魚と野菜の煮びたし定食。


もちろん僕は白米、玄米、浅利ゴハンを三種ともおかわりした。食後のデザートは一昨年と同じコールドストーンである。

▼僕は毎夏二枚だけTシャツを新調し、首回りが擦り切れたら下着に下ろすようにしている。たいてい1シーズンでそうなる。なぜなら二枚きりの着回しでそればかり着ているからだ。今年はまだ一枚しか買ってなかったので二枚目を買った。それから一昨年ここで靴を買って以来の履き物を買った。今日はその、今年一枚目のTシャツと、一昨年ここで買った靴という恰好である。つまりは一張羅だ。履き物は、最近一足きりのサンダルの底がネチャネチャするので、靴も欲しかったがサンダルにした。
▼贅沢をしているつもりはないが、お金に羽が生えて飛んでいく。それは僕らがやはりバブル世代だからだろう。時間があれば、どうしてもショッピングにドライブにランチを楽しむデートになる。ところが就職氷河期世代より下の世代では、同じデートでもまるで違ったものになるらしい。まず外に出ない。うちでお菓子を食べながらゲームをする。映画やライブに行くくらいならDVDを借りてくる。徹底的にお金を使わないスタイルが身についている。実際ないのだから仕方がない。
▼これでは車も売れないし成婚率も上がらないだろう。しかし一度身についたライフスタイルは簡単には改まらない。生活習慣病のようなものである。いくら経済界がお年寄のタンス預金に狙いを定めようとも、貧しい時代に育った世代はサイフのヒモを緩めるはずがない。逆に何不自由なく育ったバブル世代は借金してでも消費活動をやめようとしないだろう。それは一方がお金の使い方を知らず、一方はお金を使わない生活を知らないからだ。これは倹約の問題ではない。性分の問題である。
▼行き帰りの車の中で、ずっと妻の好きなユーミンが流れていた。最近サザンが活動を再開した。彼らは僕らの世代のスーパースターである。僕らは終わらない青春を生きている。それでもユーミンの方が、サザンや中島みゆきに比べて才能が枯渇しているように感じられるのは、彼女のバブリーな歌の世界が時代とマッチしてないからだろう。なにしろベストアルバムのタイトルは「日本の恋と、ユーミンと。」である。ユーミンがいくら恋愛の第一人者であるとはいえ、このグローバル化の時代にそんな狭く限定された世界なんか誰も気にしちゃいられないだろう。
▼今日、ユーミンの曲を久しぶりに聴いて、本当にいいなと思えたのはごく初期の、荒井由美時代のものだけだった。松任谷由美になってからも、名曲やヒット曲はいくらでもあるだろうが、改めてそう思った。これは僕の持論だが、「流線型80」くらいからもうダメである。それは彼女が結婚して恋愛の第一線から退いたからというようなことではない。
▼「ひこうき雲」「翳りゆく部屋」「やさしさに包まれたなら」「ベルベット・イースター」…意外なことに荒井由美時代の曲の方が、恋愛を歌ったものは少ない。名曲「卒業写真」だって、その後のユーミンの恋愛ソングとは毛色の違うものだ。僕がいいと思うのは、その頃のものだけである。
ユーミン時代の寵児である。ユーミンがいわゆる恋愛ソングの名手としての地位を確立した頃から、つまり80年代に入って、恋愛はルーチンなものになった。その時々で流行りの形式があるファッションになった。達人に学び練習することで身につけることができるスタイルになった。恋愛は本来そういうものではないが、そういうものに変質してしまった。ユーミンはそのような恋愛の教祖である。だが流行はいつか終わりがくる。
▼火曜はチンジャオロースもどきにひじきと枝豆のサラダ。

妻は金遣いは荒いが、うちのことはちゃんとする。ちゃんとするどころか天才的にうまい。ユーミンが恋愛の達人なら、妻は家事の天才だ。それはお金の使い方も含めて彼女の身についたものである。学んで身につけたものもあるかもしれないが、多くは元々備わっているものだろう。単に教育とか母親に習ったとかいうものでもない。それがその人の背景というものだ。それは容姿と同じで不平等で残酷なものである。そういうものは誰でも平等に聴くことができるユーミンの歌の中には出てこない。

カリスマ主婦と結婚できた僕は三国一の果報者だ。いつか殺されるな。