青春の後姿を羽交い絞め

昨日はひどく雨が降る中を、仕事がらみで面識のない人の葬儀に参列した。俗に涙雨というが、会葬の日は不思議に雨の日が多い。人の死は、家族や親友でもない限り、所詮は他人事である。面識があればあったで志が出ていくし、なければないで場違いな居心地の悪さをずっと我慢しなければならない。いずれにしろ憂鬱なことに変わりない。
▼急に蒸し暑くなった。気温にさほど違いはないが、空気でこうも体感温度が違うものだろうか。不快指数が高い。「七帝柔道記」を読んだせいか、こんな日はつい昔日の猛練習を思い出してしまう。真夏のプレハブの道場は、窓を全て開け放しても風はそよとも動かなかった。灼熱の太陽に熱せられた蒸し風呂の中で延々と練習が続いた。
▼当時はまだ練習中に適度な水分補給が必要だという考え方は普及していなかった。我慢すればするほど強くなるという精神論や根性論がまかりとおっていた。とにかくスパルタの中学の先生ならともかく、緻密な理詰めの指導をする高校の先生も「飲むな」と言った。「飲まないとそのうち汗の質が変わる。ダラダラ流れる汗ではなく油のような粘っこい汗になる。そうなればスタミナがついた証拠だ」なんて言ってた。
▼今なら熱中症になると大騒ぎになるところだが、それで文句を言う人もいなかった。先生が恐ろしくてそんなこと言えるわけなかったが、そればかりでもなかった。ホントかどうか知らないが、「科学的」でも「精神論」でも強くなれればどっちでもよかった。僕らは限界まで練習し、終わると冷水器まで這っていってスッポンのようにかじりつき、腹一杯飲みきると蛙のようにひっくり返って動かなくなった。
▼中学の時は練習が本当にきつくて、午後の四時から練習があると思うと憂鬱で、そのことが頭から離れず思い切って学校生活を楽しめなかった。性欲に負けて前の晩にオナニーしてしまった日などは、朝から生きて帰れるか不安で不安で、せめてもの気休めになけなしの小遣いで、当時はまだ神通力のあったリポDを買って飲んだものだ。
▼練習は腕立何百回、腹筋何百回、打込何百本のようなアップが一時間以上続いた後、いよいよ恐怖の乱取が始まる。寝技→立技の順でやるのだが、動きの大きい立技は全員でやるには道場が狭すぎる。数人の元立ちを決め、残りの人がかかっていくかかり稽古だ。普通は1クール4分×7本を3セット。寝技と合わせると実践練習だけで最低二時間はあった。先生の気まぐれで、7本が8本になったり10本になったりした。
▼元立ちの時は約30分戦い続けなければならないので、自分が元立ちでないセットでいかに体力を温存できるかがカギである。「こうたあい」の声がかかるたびに元立ちの人に向かっていくフリをするフェイントが難しかった。先生が目を光らせているので二回連続では休めない。7本のうち2、4、6回目の偶数を狙う。1、3、5、7回目の奇数回だと一回多くなってしまう。
▼練習を少しでも抜けられる理由があれば、なんにでも飛びついた。僕はただの風邪でよく喘息になった。三年になると「受験がある」と言って塾に行った。塾は七時半からだったので、クールダウンを途中で切り上げられるだけだったが、それでもいそいそと着替えた。僕はキャプテンだったが、なりふりかまってはいられなかった。受験なんてどうでもいい。こっちは命懸けである。あまりの無責任ぶりに先生もシラケてあまり止めようともしなかった。
▼なにしろ日曜の練習のために昇段試験を受けにいく時間も惜しむような先生である。柔道は初段の下に茶帯の一級があり、中学生はみな茶帯をするものだったが、僕らはみんな白帯のままだった。昇段試験の月次試合は三年の夏の大会が終わって部を引退してから受けにいった。たいていは五、六人抜いて一発昇段したが、僕はなぜか月次が苦手で、引分のポイントを少しずつ貯めて初段になるのに卒業ギリギリまでかかった。
▼何度も繰り返して増田先生に申し訳ないが、「七帝柔道記」に書かれていることは僕には細部までわかりすぎるほどわかるのである。笑いのツボがズレている和泉主将のこと。彼が広島弁丸出しでしょーもないことを子供のようにおもしろがったり、親友の同輩にじゃれているのか本気なのかわからない締めを見舞うところなどはもう生き写しである。何かに打ち込んでいる純粋な人は、このように無邪気で世間ずれしていないものだ。
▼京大のメンバー表に載っていた僕の高校の先輩にも、同じ柔道部に仲良しの親友がいた。京大の先輩は七帝柔道に相応しい骨と皮だけの小兵だったが、相方の先輩の方は大柄な凸凹コンビだったのがまた微笑ましかった。小さな先輩が、体つきに似て性格のおっとりした大きな先輩のことが大好きでしょうがないのが、手に取るようにわかるのである。
▼ある時練習でもなんでもない、それこそ文化祭か何かのヒマつぶしに部員が道場でたむろしていた時、不意に小さい方が大きい方の肩に飛び乗ったかと思うと、いきなり締め始めた。みんなふざけているんだろうと放っておいたら、そのまま締め続けて畳にひっくり返って参ったしてもやめようとしない。あれよと言う間に大きい先輩は口から泡を吹いて落ちてしまった。この人はいったい何をしてるんだろう?これ以上意味のないこともそうそうないが、要するに一種の愛情表現である。
▼僕はもう、そういう世界はゲップが出るほどやったのだと、大学で柔道を続けなかった。だからといって僕の学生生活に、ユーミンの歌のようなゲレンデとクリスマスの世界も、サザンのような波打ち際とサーフィンの世界もやってこなかった。ひどくがっかりした。

水曜はヨガカレー。

木曜はネバネバソバに混ぜゴハン

そして今日は和風ハンバーグ。写真撮りの前に少しかじってしまった。