真夏の夜の霊

陽が落ちると嘘のように涼しい。昨日は暑さがぶり返したが、先週の猛暑に比べれば今週は過ごしやすかった。周辺に比べ3、4度低い、この辺り本来の気候である。何度も言うようだが30度そこそこならなんでもない。つまりは猛暑日は閉口だが真夏日ならOKだ。アイスやジュースをおいしくいただくためにも冷夏よりはいい。
▼早くも夏本番だが、上の子も下の子もけろっとしている。子供は暑さに強い。先日の下の子と僕の川遊びに続いて、昨日は上の子が友達と川遊びに出かけて夜中に帰ってきた。彼は進路を決めて部活を再開しているが、そのきつい部活が終わった後で、車でも一時間くらいかかる上流まで自転車行って帰ってきたそうだ。底なしのパワーだ。遊びのエネルギーだけは無尽蔵である。
▼僕も高校の時、柔道部の仲間と後輩も連れて自転車と電車を乗り継いて隣県の海まで泳ぎに行った。僕らもひとつ下も五人ずつの小所帯だったが、まとまりはよかった。たしか一人二人欠けただけだったと思う。どこで聞きつけたのか、その日の練習後の訓話で先生が「日焼けするに任せてると明日柔道着を着られなくなるぞ。Tシャツを着たまま泳げ」とおっしゃった。
▼荷物になるので弁当は持たず、さりとて小遣いを使うのは惜しい。ウニやサザエを現地調達すればいいと高を括っていたが、そんなにうまくいくはずもなく、途中で腹が減って我慢できなくなり、ひとりだけ弁当を持ってきていた後輩にもらって隠れて食べた。すぐにUに見つかったが分けるのを拒むと、マジでケンカになりかけた。U君ゴメン。僕は昔からセコイ上にイヤシイ。ホントに救いようがないな。
▼なんということもない。ただ水につかって、みんなで沈む夕陽を見て帰ってきただけである。海水が冷たくて気持ちよかった。帰りのローカル線は貸切状態で、着くまでみんなで大声で歌い続けた。誰ひとり眠る者はなかった。底なしのエネルギーだ。「若いってことはただそれだけで素晴らしいことなんだが、残念なことに若いうちはそのことがわからないんだな」とは、漫画家の柳沢みきおが自らのマンガの登場人物に語らせている言葉だが、ホントにその通りだと思う。
▼さて、熱烈フォローの東京自由人日記、昨日は九段靖国神社のみたままつりである。立錐の余地もないほどの盛況ぶりを伝えていた。自由人さんも毎年レポートしているくらいだから、もちろんポピュラーな行事に決まっているのだが、23年前に彼女と行った時は、僕はその存在を知らなかった。その日一日あちこちぶらぶらして夕食を食べた後、最後に彼女が「行かない?」と提案したのだ。
▼時間が遅かったせいか、そんなに混雑していた記憶はない。戦時中の写真や、奉納相撲の写真など、いくつかの展示はあったが、印象に残るものはなかった。彼女はそれらを見ていたが、僕は見ていなかった。提灯も出ていたはずだが、人もまばらな靖国は思ったより暗かった。でも僕は、早くもっと暗いところに行きたかった。早く彼女と二人きりになりたかった。そして僕らは神社の向こうのお堀端のベンチに腰かけた。
▼そこで僕はいつものように思い切り彼女にあまえた。じゃれた拍子に彼女のコンタクトが外れたらしい。「あ〜あ、今日はついてないな」と彼女は言った。僕は必死に目を凝らし、ついにベンチの下に光るレンズを見つけた。シッポをふる犬をあしらうように、彼女は「逆転満塁ホームランだね」と褒めてくれた。今これを書きながらも、このセリフをきいて何も気づかないなんて鈍感にもほどがあると自分でも思う。でも有頂天の僕には、彼女にとってその日のデートがそんなにつまらないものだったなんて思いもよらなかった。
▼もしもあの時僕が逆の立場だったなら、つまり卒業をひかえて新しい地平に目を向けようとしている時に彼女が僕だけを見つめていたとしたら、僕だって彼女をうっとうしく感じただろう。だから彼女がそう感じたとしても不思議ではない。もう遠い昔の話だ。生まれてから彼女と出会うまでにかかった時間と同じだけの時間が、あれから現在までに流れている。それでも僕の魂は、いまだに鎮まってはくれないのだ。我ながらゾッとしないでもない。

火曜は棒餃子に夏野菜サラダ。水曜ヨガカレー、木曜冷やしラーメンで連続写真なし。そして今日は瓦そば風に枝豆サラダ。