恐るべき子供たち

今日から8月。夏もこれからが本番だと思うとげんなりする。週初、山陰の豪雨から一日遅れて雨が降りだした。陽が陰って少し気温が下がりほっと一息ついたが、雨が上がるともう猛暑日である。週間予報では30度そこそこなのに、当日になると35度を超える。なんでそうなるの?
▼昨日の日経夕刊コラムにシンガポールリー・クアンユー元首相のこんな話が載っていた。「シンガポールにとって20世紀最大の発明はエアコンです。一年中この暑さでは働く気も起きない。欧米や日本に追いつくどころの話ではありません」これを読んで僕は空恐ろしい気持ちになった。彼の国の人には申し訳ないが、シンガポールを初め東南アジア各国の成長と発展に、いくらエアコンの与る力が大きくても、赤道直下の室温を人が働く意欲がわくまでにエアコンで下げれば、地球温暖化は免れまい。
▼猛暑のせいか父はタイから帰国して以来7月のブログ更新はたったの三度だった。ほぼ毎日更新のタイ在中とはえらい違いだ。かくいう僕も週に二回ほどの更新がやっとである。そうそう日常に変化のあるはずがない。仕方なくテレビを見、新聞を読む。酷暑、参院選自民圧勝、豪雨被害、原発汚染水流出、いじめ自殺、幼児虐待、製薬会社社員による臨床データ改竄…
▼このうちたまたま隣合う県でたて続けに起きた広島県山中死体遺棄事件と山口県連続放火殺人事件。かたや高齢者かたや未成年、かたや一人が五人を、かたや五人が一人を強殺した事件は、一見なんの共通点もないように見えるが、僕にはこの二つの事件は容易に反転するネガのように重なって見える。
▼これらの事件は日本の村社会の実状を映して余りある。要はいじめでありリンチである。どちらが加害者に、どちらが被害者になってもおかしくない。地方ではフラストレーションを晴らす手段はあまり多くはない。鬱積した憎悪はこのような形で発散されるほかはないのだ。地方の日常の閉塞感はそこまで切迫した状況にある。
▼もう少し細かく見てみよう。山口県の高齢者は村八分にされた加害者が逆ギレしたアモク型で、事件の凄惨さに比べ構図は単純である。共同体から疎外された者=いじめの被害者が、惨めな現状から逃れるにはこうして①自ら加害者に転じる②自殺する③その両方、つまり復讐した後自殺するの三つの選択肢しかない。
広島県の集団暴行殺人の方は、「16歳の元専門学校生」とか「客をとって月に百万あげていた」などと簡単に報道されているが、簡単に流すようなことだろうか。被害者も含めて事件に関わった少年少女のこれまでの短い半生がどのようなものだったのか、パンピーの僕なんかにはちょっと容易に想像できないものがある。
▼16歳といえばうちの子たちと同じ年の頃である。普通なら高校生だ。それなのに彼らは「元」専門学校生で、未成年なのに月百万円も稼いでいた。仮にこの事件が明るみに出なくても、既に法に触れるような行為に手を染めていたことは確実だと思われる。それだけではない。仮に殺害された少女の遺体が発見されなければどうなっただろう。事件は闇に紛れていた可能性が高い。それは次の理由による。
▼世の中には学校に来なくても誰も不思議に思わないような子供がいる。彼らもその口だ。まして元専門学校生がどうなろうと知ったことではない。既に身よりすらいないかもしれない。彼らは社会的には存在しないも同然である。そんな彼らのうちのひとりが、今回生物学的に死んだ。彼らの誰がそうなってもおかしくはないのに、同じ境遇の者同士が仲間割れするところがなんともやりきれない。
▼学校に行かない彼らはどこで何をしているのか。また、これから先どこで何をして生きていくのか。似たような境遇の先輩や仲間たちと、未成年でも月百万あげるような環境に身を置くしかないだろう。更生した場合でも、男なら土建業か運送業、女ならパートのかけもちしかない。レジ打ちと豆腐ひろい、あるいは保険の外交とスナックのホステスの。
▼高校どころか中学や小学校からろくに学校に行かなくなるような子供は確かにいる。彼らは往々にして家庭的に恵まれていない。片親、DV、ネグレクト…僕らが子供の頃にもそういう子供は一定数いたが、今はかなり増えているのではないか。彼らには希望、あるいは幸福という言葉の意味がわからないだろう。それは盲が象を想像するより難しいことだ。
▼世界に目を転じて、スラムのストリートチルドレンや内戦地帯の反政府ゲリラやイスラムテロ組織の少年兵も同じことだ。犯罪やテロの予備軍を形成しているのは、ないがしろにされ、顧みられない者たちである。容貌は子供でも心は空洞の生物が、武器を手にし、暴力と殺戮の世界に身を沈めてゆくのだ。

しばらく更新してなくていつのものかわからないが焼肉チャーハン。

それから昔懐かしナポリタン。

そして昨日は夏らしくとうもろこしにソーメンに冷しゃぶサラダ。

いつかの誰かの朝食。