免許皆伝!

周期的に雨が降り、晴れれば雲ひとつない青空が広がる。陽射しは強いが、空気は完全に秋のものだ。夏の間は予報より実際の気温が高くて閉口したが、今は逆のパターンだ。例年なら残暑にあたるのだろうが、今年は盛夏があまりにひどかったので涼しく感じられる。終わらない夏も明けない夜もないってホントだな。
▼実は今、僕は免停中である。毎日電車とバスを乗り継いで担当事業所や会社に通っている。これにうちを含めた三か所が、きれいに三角形に配置され、それぞれ車で約25分かかる距離にある。免停通知がきた時は、正直最悪の事態も考えたが、案外そうでもない。通勤時間は倍になったが、すこぶる快適である。免許を取る以前のスタイルに戻っただけの話だ。普段は気づかないが、ハンドルを握るストレスは並大抵のものではないのだ。
▼免停になると聴聞会のようなものがあって、その後任意の免停期間短縮講習がある。聴き取りは事実認定を争うものではなく、本人確認のようなものだ。何かの間違いでない限り、弁明で措置の内容が変わることはない。一種の手続きである。トドメとなった人身事故について、「停止線を越えて通りかかった人を轢き倒した」みたいな言い方をするので、「ほぼ止まっていたところに勝手にぶつかってきてこけたが、相手が女の子だったので争わなかった」と訂正しておいた。もとよりニュアンスの違いにすぎないが。
▼教室に10人いる長期免停者のうち、6、7人は酒気帯びの一発免停で、累積の人は少数派だ。二日間の講習では、いろんな言い方で同じひとつのことを繰り返し言われ続ける。即ち「運が悪かったと思うな」例えば酒酔い運転での人身、または再犯は確実に懲役5年となり、これはコンビニ強盗と同じ刑期である。「強盗して捕まってちょっと運が悪かったですむか?」あるいは「横断歩道内、または飲酒運転による人身事故の現調に向かう警官が考えていることは逮捕するかしないかということだけだ」という具合である。
▼僕も運が悪いと思っていた。膝小僧が薄皮一枚めくれて血も滲んでいないような人身で、三万近い講習費と免許を取り上げられるんじゃ、こっちの方がよっぽど重傷だ。酔っ払い運転や当て逃げや暴走行為に及んだわけでも、将来に渡ってするつもりも毛頭ない。ケータイやスクールゾーン侵入や40キロ制限区域のネズミ取りに対しては、既に罰金も支払っているのである。この上僕が免停になるのなら、技術的にはともかく道義的に免停にならずにすむ人なんてこの世に存在するのかと不思議に思うくらいだ。
▼「交差点でバイクが向こうから突っ込んできて引っかけたら腹も立つだろうが、路地から飛び出してきた子供を轢いたら後悔するだろう。相手が悪かろうがなんだろうが、何があっても対応できる「かもしれない運転」を心がけなさい」どんな場合も事故が起きれば車の責任はゼロではない。どんな事態であっても事故を起こさないような運転をしなければならない。教官の話をききながら、僕はあるエピソードを思い出していた。
▼しょっちゅうケンカしている僕らではあるが、僕が極端にやさしいので、たいていは好き勝手なことを言う妻に一方的にサンドバッグになっているのだが、たまたま虫の居所が悪かった時にマジギレした時の妻のセリフである。「男の人と女の人じゃ全然力が違うんだから。声の大きさだってなんだって。あなたは何の気なしに怒ってるかもしれないけど、わたしものすごく怖かったんだから。子供たちだっていっしょよ」彼女はうっすらと目に涙を浮かべていた。
▼交通社会における車も同じことだろう。一歩間違えれば簡単に人の命を奪い去るような圧倒的なパワーを持っている。そのような力を持つ者は、そのことに自覚的でなければならない。そしてその力をけして濫用してはならない。あらゆる事態を予測し、全てを甘んじて受けとめねばならない。免停期間はまだ道半ばにも達していないが、一足先にこの境地に達した僕は、とっくに免許皆伝でもおかしくないと思うけどな。

日曜は枝豆と明太子のクリームパスタ。

月曜はヨガカレー。最近会社の法人会員のクラブも加え週4になった妻のジム通い。我々を置き去りにしてどこまでキレイになるつもりだろう。

火曜はサバ缶ナスにゴーヤサラダにカボチャチーズ。旬の野菜ばかりの健康メニュー。

そして今夜はゴーヤの肉詰にマカロニサラダ。