親心の陥穽

今月から9月。涼しかったのも束の間、ここ数日厳しい残暑が戻ってきた。ただ蝉はほとんどツクツクホーシに変わり、朝晩は蝉以外の虫の音も聞こえる。スーパーにはマツタケやサンマがお目見えし、果物コーナーには葡萄が占める割合が多くなってきた。まだ青いが、稲穂が揺れる田んぼにはトンボもいっしょに揺れている。秋だね。
▼地獄の連休工事が終わってもなかなか休むことができない。九日間工事のみに忙殺される連休工事は以下の副産物を産む。①準備不足のまま始まった連休後の通常工事の軌道修正、②大量の連休工事の完成報告書類、③秋以降の見積、営業案件等々。要するに事務処理が九日分溜るわけだ。ここ二週なんとか日曜だけは休めたが、蓄積された疲労が抜けない。9月はこの後また三週連続で日曜がない。どこかで息抜きが欲しい。
▼今はノートパソコンを持ち込んで現場でやる人も多いが、僕は2つのことが同時にできないタイプ。事務処理は現場が終わって会社でやる。免停中なので現場からバスを乗り継いで会社に着くのが6時半。バスの終発は6時半なので、もう帰りは同じ方向の人に送ってもらうしかないが、みんな現場と直行直帰なのかその時間には誰ひとりいない。毎日妻に迎えに来てもらうのも悪いのでなるべくまとめてやろうとするが、あまり遅くなっても悪いので結局毎日22時頃になる。
▼誰もいない会社で残業する楽しみは冷蔵庫の中身である。贈答品をばらしたものであろう高級アイスクリームは、毎日一個ずつほとんど食べてしまった。至福のひとときである。いつか会社のお局さまに殺されそうだが、ささやかな楽しみだ。これくらいはゆるされるだろうと、もう半分開き直りである。
▼お楽しみといえば、妻の実家から毎年恒例の大粒のピオーネが送られてきた。これが届くと地獄の季節も終わりに近いと僕はホッとするのだが、ホンモノの果物にありつける子供たちも大喜びだ。

僕はいつも不思議に思うのだが、子供はおいしいものを食べている時に人と目が合うと、どうして得意気な顔をするのだろう。
▼全国的に雨模様の中の猛残暑日である。海山レジャーには最後のチャンスかもしれないが、生憎免停中だ。午前中はだらだらテレビを見て過ごす。クーラーのきいた部屋にいるだけで骨休めになる。妻は例によってジム、下の子は練習試合。ここ数試合ヒットの出ない下の子はかなりブルーだ。アガリ性の彼は試合になると肩に力が入ってしまう。練習では打てるらしいのだが。
高校野球の名伯楽、常総学院の木内前監督は「うちの子のアガリ性なんとかなりませんか」という生徒の親を「性格は生まれつきのものなのでどうにもなりません」と切り捨てた。本番に弱いもなにも結果が全て。練習は試合のためにするものだ。実力を出せないのではなく実力がないのである。子供に夢を見たいのが親心。それが「本番に弱い」という決まり文句に逃げこむ本人の甘さを助長する最大のものであることを木内さんは知っていたのだ。
▼これに似た経験が僕にもある。塾の講師をしていた頃、両親は医者、兄も超一流校に進学した優秀な一家で、ひとりだけデキの悪い子がいた。三者面談で僕は、「やればできるのにもったいない」と言った。本人も母親もプライドをくすぐられて気分よく帰ったと思うが、木内監督なら「デキが悪い」とはっきり言っただろう。本気でやっても結果が出ないことを恐れて全力を出さない狡さや勇気のなさも含め、その子の人間性であり実力なのだ。甘やかしても誰のためにもなるまい。
▼昼まで寝ていた長男は午後から部活に出ていった。この夏彼は半分もうちにいただろうか。部活の合宿で三日うちをあけたと思うと帰ってきた翌日から友達とキャンプに出かけるという具合。友達とつるんでばかりいるというわけでもない。時々「ひとりでゆっくりしたい」とふらりと温泉施設に行ったりする。とにかくマイペースの自由人だ。合宿費も遊興費も自らのバイト代である。もう元服の済んだ立派な大人といっていいだろう。
▼日曜恒例の報道番組は各局とも三重女子中学生殺害事件を報じていた。報道されているところによると、明るく活発で親思いの子供だったようだ。親御さんにも「この子は大丈夫」という油断があったのかもしれない。女の子なのにどうしてそんな時間に迎えに行かなかったのかという疑問は残るが、そのことを一番悔いているのが当のご両親であることは想像に難くない。「娘を亡くして心を傷めている。そっとしておいてほしい」というコメントが全てだろう。
▼我が子を信頼するのは当然のことだが、なんといっても子供である。時に厳しく、陰に日向に見守ってやる必要がある。

金曜は妻の友人のご主人が釣ってきたイナダの刺身。正真正銘コックのご主人が釣りたてをサクに捌いたものである。

土曜はその残り半分とオクラ山芋にお惣菜盛り合わせ。一日たってもまだ新鮮そのものである。