母に捧げるバラード

台風の影響か天候が不順である、大雨の日曜の翌日は濃い霧に包まれ、昼には晴れて蒸し暑くなり、夕方には小雨がパラついた。あとはだいたい曇りか雨だ。少し風が出てきた。
はてなダイアリーを始めて今月で丸三年。この間PVはやっと9万を超えた。一年目は毎日、あるいは一日おきだった更新が、二年目には三日に一度になり、三年目の今年は週二日がやっと。ここ二月ほどは忙しくてろくに更新もできなかった。それを思えばむしろ善戦した方だろう。
▼同じはてなユーザーの超人気ブロガー女史なんか一日200万PVというから次元が違う。もうフォローするのもやめた。初めは新鮮だったけど、結局言ってることは毎回同じだから。僕もだけど。ブログのフォローって音楽を聴くのに似ている。その人の主旋律を読む。波長が合わなければ自然に離れていく。友人関係と同じ。僕は僕の道を行くだけだ。最近☆がつかないのがちと寂しいが。
▼仕事から帰ると、実家から郵便が届いていた。母の第三詩集である。母は1985年、僕が高校を卒業して上京した年にコンペの副賞で最初の詩集を出して以来、約30年の間に三冊の詩集を出した。その間に、誰もがネットで自分発信できる世の中になったのだが。
▼1995年、母が二冊目の詩集を自費出版した年に僕は結婚した。僕が大志を抱いて上京し、夢破れて帰郷した約十年の間に書きためられたものである。僕が東京でバイトして酒飲んで落第して失恋して中退してエロ本を作りUターンして塾の講師をしている間に、母は一冊の詩集を残した。
▼二冊目と三冊目の間はもっと間隔があいた。僕にも長男が生まれ、次男が生まれ、六回転職し、再び故郷を離れ、妻との離婚騒ぎがあり、もうじき長男が家を出る。今回の詩集は、その間母が毎年二つの同人誌に寄稿してきた、三篇ずつ計六篇の詩の20年分を編集したものだ。
▼僕たち兄弟が子供の頃は僕たちの、僕たちが巣立ってからは父の世話をすることが母の仕事だった。僕が青春の只中を過ごした東京でのあれこれに比べれば、地方の主婦の日常なんてとるにたらない平凡なものだろう。だが僕たち兄弟を育てあげた後、母はさらに三人の子供を産んだ。
▼母の詩を、照れくさくて僕はまともに読むことができない。それは育ちの違う兄弟と、成人して初めて会った時のような感覚。なんとなく気恥ずかしいが、仲よくなりたいという気持ちはある。そこに自分を見るからである。それは目も眩むような才能が、そのまま活字になったような近現代詩の巨星たちの言葉ではない。平易な口語散文詩である。
▼子供が母親から受け継ぐものってなんだろう。まずは身体、それから言葉。ようするに人間を形づくるものの全てである。その意味では男親の与えられるものは少ない。ホントにお金だけかもしれない。
▼言葉と身体は不可分のものである。母の言葉は柔らかでもしなやかでも力強くもないが、平明ではある。とてもやさしくて、わかりやすい。子供に読んできかせるお話のように。子供に噛んで含めるように言い聞かせる言葉。母のその言葉を僕は聞いて育った。特に才能があるわけではないが、惜しみない愛情を注がれたものだけが知る言葉である。それが僕の言葉だ。

火曜は豚丼にトマトとアボガドのわさびサラダにスープ餃子。

昨日は鮭に鶏のナンコツ入り和風ハンバーグにゴボウサラダ。

そして今日はブリテリに焼肉にシュリンプサラダにポトフ。