見晴らし台

週末は今冬一番の冷え込みだった。金曜には各地で初雪が降った。今日から師走。街路樹はようやくいい色になってきたところだが、正真正銘の冬である。
紅の銀杏並木に雪映ゆる
▼今朝方担当事業所の駐車場で業者仲間の番頭と立ち話。「この土日がヤマだって毎週言ってるね」と笑いあった。怒涛の年末から年度末までのウエーブに既に巻き込まれているのかもしれない。やはり円安差益の影響は大きい。今のうちにやれることはやっておこうという感じで、昨年度までの懸案事項に軒並みゴーサインが出ている。今年の年末年始もゆっくり休めそうもないな。因果な商売だ。
▼毎年言ってるようだが、たぶんここ一、二年がヤマだと思う。僕も来年は48。今は現場と営業の二足の草鞋だが、そのうち無理がきかなくなる。中小零細は実質的にトップ営業で事足りる。幹部社員にでもならない限り営業のみということはありえない。50過ぎても現場なら、多分給料はグンと下がるだろう。客先の業績がいいうちにいい成績をあげて次のステップに進まねば。
▼今の仕事の前、僕は豆腐屋で働いていた。豆腐屋と言っても製造工場で、隣県にまたがる生協の注文を受けて本業は安定。さらに当時の社長が始めた全国の名産品のカタログ販売の会社が軌道に乗り、売上利益共に本業を凌ぐまでに成長していた。僕が入社した時には、好調な業績を背景に新工場を建設中で、幸運にも移管作業に立ち会うことができた。
▼以前にも書いたことがあるが、豆腐工場は夜勤が主力である。理由はスーパーの店頭に並ぶ商品に、その日の製造日を打刻するには、夜中の12時を回って製造されたものでなければならないからだ。そのためには豆乳を炊き、にがりを加えて寄せ、プレスしてカットしてパックしてシールして冷水槽で冷やされたものをパートのおばちゃんが拾うまでの工程を、夕方から始めるのがちょうどいいのである。
▼新工場の立ち上げは、旧工場の夜勤明けに行われた。設備を更新すれば、それで生産が倍になるわけではない。食品製造、それも豆腐である。その日の気温で大豆の漬け方からにがりの量、寄せ方まで微妙に違うのだ。まして造る機械が変われば同じ豆腐を造るのは至難の業である。
▼これまでの豆腐と同じ品質で安定的な供給が可能になるまでには、何度も試運転を繰り返す長い調整期間が必要になる。完全に新工場への移管が完了して旧工場が解体されるまで、夜も昼もない生活が続いた。単なる製造スタッフですらそうだから、社長、工場長ら経営陣は寝る間もなかったに違いない。
▼その豆腐屋の社長が食品通販の姉妹会社を立ち上げた時も、同じように朝まで豆腐を造った後で昼間何気ない顔でひとりでやったそうである。人間はマジシャンではない。今現在の仕事の質を落とさず、さらに別のことをやろうとすればどうしてもそうなる。業績を倍にしたり新しい事業を展開しようとすれば、文字通り倍働くしかない。同様に人間はスーパーマンでもないから、そんな生活を続ければいずれは身体を壊す。その社長は僕が辞めてほどなく亡くなったときいた。まだ全然亡くなるような年ではない。
▼仕事に近道はないこと。流した汗の分しか見返りはないこと。こういうことは当時からわかっていたわけではない。今、自分が懸命に働いて初めてわかることだ。かなりリスキーではあるが、リスクをとらないと道は拓けない。またリスクをとったからといって、必ずしも成功するとは限らない。社長ともなれば仕事上の成功とは別に他人の人生をも背負うことになる。
▼こんなことを書くと、まるで僕が次期社長候補みたいだが、全然そんなことはないのである。せいぜい一事業所の担当者どまりだ。でも裁量権はある。裁量権とは、人の倍働くも働かないも自分で決められるということだ。これが仕事をしている人と作業をしている人の一番大きな違いだと思う。作業とは職種のことではなく意識のことだが、彼らには働かない自由というより人の倍働く自由がないのだ。
▼ローカルの小さな会社ではあるが、会社の大小にかかわらず、そのような位置に立てただけで人として幸せな方だと思う。なんせ見晴らしのいい景色だ。細かい労働条件ばかり気にしている人には絶対に見ることができない景色である。死ぬも生きるも自由。我事において後悔せずとはこういう境地を言うのだと思う。

金曜は鮭のソテーにポトフ。土曜は妻が友人と食事会でスーパーの出来合で済ませる。
日曜は唐揚に豚汁。唐揚は絶品だったが豚汁に豆腐を入れ忘れるとは何事か!