年越し弾丸ランナー(後編)

長く生きているうちに、物事に対する感じ方が変わることがある。例えば正月がそうだ。小さい頃は正月が楽しみだったような気があまりしない。お年玉がもらえるのにどうして?と思うが、きっと最終的に親に預ける形になったからかもしれない。クリスマスの方が断然楽しみだった。お正月は、どちらかというと大人の行事のような気がしていた。
▼上京して一人暮らしを始めると、クリスマスも正月もないような時期がずっと続いた。僕が学生の頃はバブル全盛期で、クリスマスの持つ意味が変質した時期だった。彼女、または彼氏がいるといないではクリスマスの過ごし方が全く違ったものになった。クリスマスは親子から男女の、うちの中から外でのイベントへとすっかり装いを変えてしまった。
▼バブルがはじけ、僕自身も年をとった現在、僕にとってクリスマスはほとんど意味を持たない。だいたい妻はいないし仕事でそれどころじゃない。今はもっぱら家族で帰省して実家でおせちを囲むお正月専科だ。それはお正月が、僕の中でかつてのクリスマスのように家族の行事としての地位を取り戻した証拠でもある。
▼元日の朝は妻の実家で義母の雑煮を啜ってバタバタと僕の実家に出かける。

牡蠣は昨年のものより小ぶりだったが、今年はホタテの身が入っていた。いつもながら白濁した濃厚な魚貝の出汁である。
▼実家に到着して三世帯十人でおせちを囲む。今年はくら寿司のものらしい。

おせちはどこのものも同じだが、それより料理を盛ったお皿より取り皿の方が大きいのが気になる。母のマイブームらしいがテーブルの場所をとって不便極まりない。

かしわと焼き餅の母の雑煮も今年はデキがよかった。
▼今年は弟の家族も帰ってきた。一昨年春の家族会以来である。奥さんと小1の上の女の子とはお披露目の時もあわせて四回目。一歳になる下の男の子とは初対面である。それぞれの家庭の実情は、ほんのちょっと顔を合せ話を聞いたくらいではわからない。なんにしろ、生きていることだけは確かだ。お正月は、離れて暮らす家族の無事をこの目で確認できる数少ない機会でもある。
▼午後から近所の親戚のうちに挨拶に行き、一歳の甥っ子もいっしょに初詣に回る。厳寒の年であればとてもかなわないことだ。戻って父とうちの子たちは近くの温泉施設に。僕と妻はそれぞれ幼なじみのところへ。夕方立つという弟とはここでお別れ。心配しても詮無きこととはいえ、無事を願わずにいられない。もちろん帰途のことだけではない。
▼2日は子供たちを実家にあずけ、ひとり地元で一番大きなブックストアへ。周期的に半年に一度、強烈な読書欲に襲われる。伊集院静「ノボさん」松村美香「アフリカッ!」ミシェル・ウエルベック「地図と領土」そして村上春樹の「色彩を持たない〜」まとめて四点の大人買いである。サイフの中身を確認してレジにいったつもりが、店員の口から出た合計が予想より大きく一瞬ヒヤッとする。レジの打ち間違いではない。僕の計算間違いでもない。なんとか足りたが、消費税が上がればこういうことはきっと多くなるだろう。
▼昼食には母の手作りカレーを食べることができ、子供たちも喜んでいた。そしてその晩はもうフェリーに揺られる身である。あまりに慌しくて、帰省の楽しみのひとつである地元名物のラーメンを食べるヒマもなく、コンビニで名店監修のカップラーメンを買ってお義母さんのお弁当といっしょに船室に持ち込んで食べた。

今年は年男だ。いい年にしたい。