ささやかな休日

大荒れの週末から一転して穏やかな日和である。空気は冷たいが、日中の雰囲気はもうすっかり春だ。土曜のサボリは別にして、今日は正月以来の休日である。最近課題は山積しているのにまるでやる気がおこらない。心身ともここらが一息入れどころだろう。
▼さて、四十数年ぶりの大雪とソチ五輪ですっかりかすんでしまった感の都知事選。下層階級は政治なんかより天気やスポーツの方がずっと好きなのだ。庶民が政治に本気で興味を持つとすれば、政治家のスキャンダルくらいのものだろう。マスゾエ200万票、革新弁護士と殿が100万票ずつ。パッと見リベラルの票が割れたとの印象を受ける。
▼次の都知事の一番の仕事は何か。いくら殿がまぜかえそうとも、東京五輪の準備であることはまちがいない。保守層にとっては、革新系の知事が都政を担う事態だけは絶対に回避したかったはずである。革新系の恐ろしいところは、世紀の祭典オリンピックにさえ後ろ向きの姿勢を隠そうともしないほど革新的なところだからだ。
▼これはもう、殿は保守サイドから放たれた刺客とみてまちがいあるまい。殿をかついだ元首相は、アベちゃんの靖国参拝の先輩だ。まさに保守中の保守であり、選挙に部類の強さをほこった戦略家である。踊らされた殿が哀れだ。彼は文字通りかつがれたのである。って僕も充分にゴシップ好きの下層階級だね。
▼殿や宇宙人のような大資産家は反原発や友愛を語っていればいいが、保守には天皇の赤子を食わせる責任がある。オリンピックはアスリートの夢やおもてなしである前に、何よりもまず庶民のメシのタネなのだ。共産党社民党のように、なんでも反対したり批判したり消極的になるわけにはいかないのである。
▼それでもマスゾエに入れたくない約半数の都民、これは天皇に直訴した山本太郎に一票を投じた層と重なるわけだが、彼らはいったいどういう人たちなのだろう。奇しくもオウム逃亡犯の最後の審判が行われているが、犯行当時は前代未聞と思われたこの若い高学歴集団と、学生運動隆盛時代の過激派との相似形を指摘した評者もいた。
▼学生、学者、文化人、ジャーナリスト…現状に不満を持つ知識人の脳裡に宿る反社会的欲求を、19世紀の文豪ドストエフスキーは既に「悪霊」と断罪している。その正体は簡単に言えば、自らの現状に対する欲求不満を世の中のせいに転嫁することへの誘惑のことだ。
▼高邁な理念も結構だが、人間所詮生まれて生きて死ぬだけである。そして生きている間は、食って排泄して寝るだけだ。それだけでもたいへんなことだ。実社会に出ればキレイゴトばかり言ってられないことはすぐわかる。だがそれに飽き足らない人、無名のまま一生を終えることにガマンならない人たちが不穏なことを考える。何にでも難癖をつけたがる。
▼下の子は練習試合。いつ先生の訪問があるかわからないので外に出られない謹慎中の上の子を残して妻とランチデート。

コスパに優れたお気に入りの和食店で妻は和食御膳、僕はカキフライ定食。いつ来ても得した気分になれる。
▼街はバレンタインに向けて臨戦態勢だが、僕も子どもたちもバレンタインに関係なく毎日チョコを食べている。肥るはずだ。ホントかどうか知らないが「今年初めて」服を買った妻はうれしそうだ。バレンタインセールでカップルで来店した人は20%引きだという。夕食に買った餃子がスタンプがちょうどいっぱいになり25%引きになった。なんだかちょっとうれしい。幸福な気分だ。安くできてるね。

日曜はハンバーグにミネストローネ。月曜はヨガハヤシ。最近謹慎中の長男がストレス解消に妻についていくようになった。そして今日は昼間買った焼餃子。