うたかたの日々

三月になった。雨が多くなってきた。いったん降り出すと本降りの雨が丸一日降り続く。今週はまた寒さがぶり返すというが、もう名実ともに春だね。
▼年明け以来、例年通り期末工事に忙殺されているうちにいつの間にか2か月がたっていた。この間休みは建国記念日の一日のみである。両親もひとつきの台湾ステイから帰国した。楽しくても楽しくなくても時間はあっという間に過ぎる。
▼上の子はようやく謹慎があけたと思ったら昨日卒業式で今日はもう大学の合宿に出発した。学校側は直前まで「式に出すと示しがつかない」とかグズグズ言っていたが、もったいぶって何の意味があるのか。本当にそう思うなら出さなければいい。いずれにしろ彼はもう次のステップに進んでいるのだ。
▼下の子は毎日野球の練習に励んでいる。先日は県大会に七番レフトで先発。三打数二安打三打点の活躍で、地元紙の囲み記事に名前が載った。それでもシャイなので自慢するようなことはない。上の子が「自分に対する評価が低すぎて驚く」とのたまったように、打っても打ってもどこか不安げだ。自分に厳しいというのではない。自信がないというのとも違う。殊勝という形容が一番近いかもしれない。ともかくその晩は近所の焼肉屋でねぎらってあげた。

▼話は変わるがローリングストーンズが来日している。ニュースを見た妻が「オジイサンや!」と叫んだが、メンバーの平均年齢が70才なのだから無理もない。初来日の時も相当なオッサンという印象だったが、あれからもう四半世紀もたつんだな。この間六回も来日しているとは知らなかった。ジャパンは彼らの半世紀以上に渡るキャリアのうち、半ばを過ぎて初めて脚を伸ばし、以後繁く訪れる場所になったわけだ。なんとなく面白くない。
▼そのストーンズの本邦初公演は僕も観に行った。超満員の東京ドームの前から六列目の好位置である。時はバブル最盛期。しがない落第生にプレミアチケットを入手できるツテなどあるはずもない。僕は近所の定食屋や銭湯でよくいっしょになる中年男(ストーンズファン、名前は忘れた)と交代で、真冬の路上に徹夜で並んでチケットを手に入れたのだ。
ストーンズのチケットに並ぶ並ばないの話は、マスターの店でバイトしている彼女からも電話がかかってきた。ちょうどオナニーの最中だったことを覚えている。その時はまだそこまで彼女のことを意識していなかった僕は、イチモツを握りしめたままストーンズの話をするような滑稽なことになっていることが少し腹立たしかった。
▼ライブは立錐の余地もなかった。みんな最初から総立ちで、ステージの上の豆粒ほどのミックを見るのは骨が折れた。正直なんでみんなそんなに熱狂するのかわからなかった。正直熱狂的なファンでもない自分が、なんでそんなところにいるようなことになっているのかもわからなかった。
▼「オレ二日目」「オレは三日目」ライブの後はミックジャガーそっくりのマスターの店で「どうだった?」という話になる。僕が「ミックの動きがダチョウみたいでおかしかった」と言うと、マスターが「クラシックバレー仕込みらしいよ」と答えた。話はそれ以上続かなかった。全くバブルを象徴するような話だ。
▼今回も五万席完売の超満員の東京ドームでは中高年の雄叫びがこだましていることだろう。初来日の時僕の隣でうれしそうに踊っていた彼は、六回の公演全てに足を運んだにちがいない。そういう人たちはいい。でも雰囲気だけで観に行った僕のような人間は、ミーハー(死語)の誹りを免れまい。あの頃は本当に何の意味もないことに莫大な時間と金が浪費された時代だった。けど僕の場合はバブルに関係なく人生を浪費していた。
▼その頃の僕は毎日マスターの店で朝まで飲んで、目が覚めると銭湯に行って帰りに定食屋に寄った。そこでストーンズの彼やイボガエルと「ミホノブルボンはダービーはムリ」というような話をしている向こうで、宇宙人(UFO党の党首)とソウルオリンピックを見ていたほろ酔いのトクサン(平岡先生ではない)が、池谷が床で銀を決めた瞬間バンザイした拍子に丼を落として割った。今思えば懐かしい日々だが、有為の徒の送る生活じゃあないね。だから息子の門出に贈る言葉もない。

ひな祭は焼肉丼。

本日はパスタ。