スプリングハズカム

コブシの花が散り、桜のつぼみがほころび始めた。暖かい。前にも書いたが、こんなに気持ちのいい日和は一年のうちそう幾日もあるもんじゃない。今時分と、五月晴れと秋晴れの数日。週末いっとき冷え込んだが、止めようのない勢いで春が押し寄せている。人は変わる。人の心は変わってゆく。春はそのことを肯定的に捉えることができる季節だ。
▼やっとのことで、命からがら年度末工事を切り抜けた。現場の数からすると、先週の土曜が9件でピークだったが、リスクの高い工事6件の今日もかなりきつかった。現場の数が5、6件あると、全部がスムーズに流れ出すまでに10時を回ってしまうが、9件の先週は最後の業者に説明が終わったら昼になってたよ。そして昼休み限定の工事があった今日は昼メシにありつけたのは2時を回っていた。
▼なんにしろ、これで工事はちょぼちょぼ。補修の左官屋が入るくらい。来週いっぱいは検査週間で休めないが、事故のリスクがないから気楽なもんだ。締切順に書類を作っていけばいよいよ今期もオシマイである。振り返れば山あり谷あり紆余曲折あったが、終わってみれば大過ないような気がするのだから、僕は自分が考えるよりずっと楽天家なのかもしれない。
▼今週はけっこういろんなことがあった。一日置きに雨が降り、一日置きに夜なべした。僕が担当している事業所は、水、金がノーザンデーだが、僕もそれに倣って自分勝手に月、水を残業デーにしている。理由は妻のヨガの日(夜の部。木、日は昼の部で都合週四。多すぎやしないか?)なのでうちに帰ってもつまらないからである。話が前に進まない。
▼今週はよんどころない事情でそうもいかず、月、火、木の残業となった。先週の土曜の混乱のさなか、下水のマンホールを壊す痛恨のミス。その掃除をするために水曜意を決してマンホールを下りた。地上からでも鼻をつく糞尿の臭いに、タイベックを着込みガス対応マスクをつける完全防備である。(福島原発でみんながしてるあの恰好)
▼一口に下水というが、マンホールの底に降りたち、インバリ(底に溝をきってある部分)に手を突っ込んでみて初めて、実際そこにウンチが流れていることを悟るのである。ガスマスクをつけていなければ吐いてしまったかもしれない。積もったコンクリート塊を取り除くと、滞っていた糞尿が紙と共に流れてゆく。
地震で曲がった下水管を入れ替える。曲がって流れなくても使うしかないから、糞尿はマンホールの口元まで上がってきている。東北の復興事業を手伝いに行き、昨年末帰ってきた同業者が働いていたのは、まさにこういう環境下である。担い手がいないはずだ。震災から三年が過ぎても、ふとした瞬間に東北の現実が垣間見える。
▼その日は身体中が臭くて事務仕事しに帰社する気になれなかった。妻も偶然インストが産休でうちにいて、幸運にも二人で仲良く「相棒」最終回スペシャルを見ることができた。見終ってパソコンを開いてみて驚いた。なんと敬愛する東京自由人さんからコメントが届いているではないか。鳥肌がたったよ。なんとも恥ずかしい限りだが、喜びの方が勝ることは言うまでもない。
▼金曜は三連休を利用して田舎から親友が遊びにきてくれた。貸してあった「七帝柔道記」と「木村政彦ナンチャラ」を返しがてらの歓送迎会ならぬ感想会である。大学でも柔道を続けた彼は、先輩のいる絶頂期の京大とも定期合宿を重ねてきたが、「(寝技も)そこまで強いとは…」ということだった。そして「(増田先生が評価する高専柔道の流れに属さない)早稲田にはオモチャにされた」とも言った。
▼僕と違って性格もおとなしく話を盛らない奴の言うことだけに信憑性は高い。増田先生の名誉のために付け加えるなら、彼が大学で飛躍的に寝技が強くなったことは事実である。まあこういう他愛のない話をしながら飲む酒ほど楽しいものはない。わざわざ遠くから出てきてくれたのだから僕も最高のオモテナシを心がける。
▼総花的な居酒屋を好む彼だが、今回は「単品ハシゴでもいいよ」ということだったので、一軒目はナマでも出す焼鳥屋にする。レバ、ハツ、ササミ、コブクロの刺身全部盛りに焼鳥の盛合せ塩とタレ全部をキリンラガーで流し込み、二軒目は会社で使う割烹居酒屋で金沢の古々酒「黒帯」をやりながら魚貝系を攻める。体育会系の面目躍如だ。三軒目は大竹しのぶママと日替わりシスターズのバーで「カリラ」を飲み干した。
▼二日酔いでフラフラの土曜は26日に旅立つ長男のために近所のカレー屋で家族で送別会。

うちの子たちはなぜかここがお気に入りなのだ。そういえばこちらに来た当時からあって、周囲の飲食テナントが入れ替わる中、今も続いている。言われてみると味は悪くない。悪くないどころかおいしい。子供は正直だ。
▼こうして瞬く間に一週間が過ぎ、今日をもってめでたく年度末工事が完了した。「今日で全てが終わるさ。今日で全てが変わる。今日で全てが報われる。今日で全てが始まるさ」また新しい期が始まる。