雨の日に晴れ姿

昨日は朝から晩まで一日中本降りの雨が降り続いた。今日は夕方になって強烈な風が吹く真冬の寒さに逆戻りである。その雨と風の間の最後の桜を、日中存分に楽しんできた。

▼年度末工事が一段落したところで、休みをとって長男の大学の入学式に行ってきた。正確には入学式には出ていないが、妻と二人で彼の下宿を生活ができるような形に整えてきた。一昨日の朝うちを出て昼前に到着。東京駅から外房線に乗り換えると車窓からの風景が次第に鄙びてゆく。だだっ広い耕作地に続き、海と山とが交互に現れる。
▼山といっても雄大な眺めではない。標高百メートルにも満たない小山が半分ほど削れて地肌を晒している。この風景には見覚えがある。幼少の一時期、僕も房総半島の一隅に住んでいたのだ。特急の到着駅とは思えぬ田舎駅だがイオンだけはたいていある。長男の大学のある町は、そのイオンすらないが、そういう所の人は時々隣町まで買い出しに行くのだろう。電車もバスも一時間に一本程度の運行である。つまり地方では車は必需品だ。
▼僕が子供の頃、今から40年(!)近く前は、これがイオンではなくダイエーだった。仲のいい2,3家族で車を連ね、買物に行ったことを覚えている。40年もたてばダイエーがイオンにとってかわるくらいのことはあるだろう。だが基本的なことは何も変わっていない。せいぜいコンビニができたくらいじゃないか。要するに地方には生活以上のものがない。言い換えれば文化がない。
▼下宿から駅まで歩いて一時間近くかかるというので心配しながら駅舎の階段を下りてゆくと、真正面のベンチに長男が座って待っている。昨夜は駅に近い友だちの下宿に泊って直接来たのだという。僕らに先立つこと一週間ほど前に出発した彼から、妻宛にポツリポツリと「やめたい」というメールが届いていたので、全国レベルの練習についていけず、不慣れな土地で孤立して悩んでいるのではないかと気を揉んでいたが、全くの杞憂であった。
▼とにかくお昼を食べながら話をきくと、「もう四人やめた」とか「学費免除の特待生も逃げた」とか「ここヤバイよ。部活やめたらなんもすることないド田舎だよ」とか言う割にけろっとしている。なんでも自分の下宿が遠くて不便なので我々が到着するまで同じ部活の人の家を転々としていたそうだ。彼が恐ろしく人見知りしない性格であることをすっかり忘れていた。
▼入学式前日の駅前レンタカーは僕らのような新入生の親に借りられ在庫ゼロ。隣町の駅前レンタカーに電話して三人で電車で移動する。幾分大きな隣町にはイオンもホームセンターもあって、かえって結果オーライである。もう全く見覚えないが、かつて両親と弟と訪れたはずの娯楽施設の前を通りながら、その頃の両親の年齢を自分がとうに過ぎていることに感慨を覚える。
▼カーテンやら収納ケースやらを買い揃えて下宿に着くともう夕刻だ。妻と二人でうちから送りっぱなしであけてもいないダンボールをあけ、収納ケースに移し、一週間分の洗濯と掃除をする。半分観光気分で海沿いの町の温泉と海鮮料理を楽しむつもりだったが、とんだ見当違いである。海鮮とはなんの関係もない下宿近くの食堂で形ばかりの食事をとり、ホテルに着いたのは22時過ぎ。疲れきってお風呂に入り寝るしかなかった。
▼翌日は目が覚めると既に雨である。長男を迎えに行き、オリエンテーションの前に最後の懸案である原チャリを買い与えてお役御免。「一番走るのはこれ、これは馬力ないね」バイク屋の店主の話に「ああ、乗ったことあるからわかります。これください」としれっと答えている。毎晩寝に帰るだけだった地元での最後の日々にしっかり学習してたわけだ。まあ自分も身に覚えがないわけじゃないから何も言わない。
▼大学の中ものぞいてみたかったが、校門まで来たところで知った顔を見つけ、「あ、ともだちともだち、ここでいいよ」とさっさと降りて行ってしまった。続々と集まるビニル傘の群れの中、長男が駆け寄った野郎と二人だけ傘がない。「バカが…」と心の中でつぶやきながら、友人と楽しそうに話す長男の笑顔がちょっぴりまぶしかった。
▼僕は彼が初めて幼稚園に登園した日のことを思い出していた。「ワーン、ワーン、ワ…」公団住宅の中にある幼稚園まで数分の距離を歩いている間中泣いていたのがウソのように、園に着いたとたん彼は泣きやみ、吸い込まれるように教室に消えていった。先生も迎えにきていないのに、彼は門から教室まで一度もこちらを振り返らなかった。その足取りは、まるで羽でも生えているかのように軽やかだった。
▼三つ子の魂百まで。彼は新しい環境への不安や恐怖より、好奇心や興味の方が勝るタイプである。サミシイという感覚が欠如しており、偏見から自由なので、誰とでもすぐ友だちになれる。こういう人間は、あれこれ心配するだけムダだ。時期がくれば自分の道を自分で見つけて歩いていくものだ。
▼この間一人きりで留守番していた下の子も少しずつ成長している。いっしょに行こうと誘ったのに、甘えん坊の彼が今回はついてこようとしなかった。ちょっと前までは考えられないことだ。こうしてみな大人になっていく。年をとるわけだ。冒頭の写真は帰りに東京で途中下車し、愛でてきた目黒川の桜。