新しい季節、新しい人

安定した皐月の空が広がっている。この時期は午前中の空気が清々しくていい。深緑の影が濃く薄く揺らめいている。休み時間にベンチに腰掛けていると、あまりの気持ちよさに時間を忘れる。光に色があるとすれば、一年のうち今をおいてほかにないだろう。
▼昨夜は夜中に咳き込んで目が覚めたので慌てて何回もうがいした。体調が悪い。完全に風邪だ。ちょっと前も鼻がグズグズいってたが、風邪か花粉かわからなかった。今回は腹具合もよくない。お腹までくればもう完全に風邪である。身体全体が弱っている。だが寝込んでしまうわけにはいかない。
▼今週に入っていろんなことが急に動き始めた。なんでも唐突に感じるのは、無意識に世の中が自分中心に回っていると思っている証拠である。自戒しなきゃ。世の中に自分のペースでできることなんてそんなにありはしない。うちの中では妻のペース。外でもほぼゼロ。あるのはそれぞれ他人の都合だけだ。
▼今朝はたまたま下の子と玄関を出るのがいっしょになった。「仕事イヤ?」彼は仕事着をきた僕と目が合えば二言目にはこうきく。僕がほとんど休みがないこともあるが、知らず知らずのうちにシゴトキライオーラを発しているのかもしれない。反省。「学校行くのといっしょだよ。イヤかい?」「イヤ。部活だけならいいけど」
▼僕は部活もイヤだった。キツイ練習がイヤでイヤでたまらなかった。下の子の中学の野球部もかなりの強豪なので、練習はハードに決まっているが、疲れてすぐ寝てしまうことを除けば練習を苦にしている様子は見えない。何もかも僕そっくりのミニミーだと思っていたが、最近彼特有の美徳に気づくことが多い。ひとつだけ例をあげるとすれば、それはひたむきさだろうか。親の僕にはなかったものだ。
▼「日本人はたぶん世界一練習しているが、与えられたメニューをこなしているだけだから練習量の割に驚くほど効果が少ない」うろ覚えだが、これはある外国人ラグビーコーチの言葉を権藤権藤雨権藤が日経のコラムで引用していたものである。ハアハア、ややこしいけど引用はなるべく正確にしないとね。「何をやるにしても、「好きなことをやるのは楽しい」という、外国人にとっては当然のモチベーションがベースにないから、ギリギリのところで力を発揮できない」これは日本ラグビー界の至宝平尾誠二の言葉。
ラグビーのように肉体を酷使する団体競技、つまり日本人の勤勉で忍耐強く組織的で繊細な国民性に相性が良さそうな競技がなぜかパッとしないのは、けして体力差のせいだけじゃない。その理由のほとんどはここに言い尽くされている。とはいえマー君ら若い世代の活躍を見るにつけ、「イヤでもガマンして続けることが大事」という価値観は、確実に過去のものになりつつあると思う。
▼イヤならやめればいいというより、大切なのは自分のしていることを好きと言えるかどうか。それが本当に自分のやりたいことなら、「耐える」という表現はない。下の子も「疲れた」とは言うが、練習のキツさを訴えたことは一度もない。ただひたすらにひたむきに練習している。彼にとって練習はやらされるものでも、僕のように後々の自慢のネタになる苦労話エピソードでもない。なぜなら野球が好きだから。それはきっと多くの野球少年も同じだろう。
▼階下まで降りて、駐車場に曲がる交差点までのほんの短い距離を並んで歩く。すると向こうから自転車に乗ってやってきたオバサンと、ちょうど交差点のところですれ違った。「おはようございます」下の子は大きな声で挨拶すると、返す刀でオバサンには聞こえないくらいの小さな声で、僕に「がんばってね」と言って駆けていった。
▼僕と進行方向が同じになったオバサンが、「いい息子さんですね」と言って自転車を走らせていった。「知ってるよ」そう声に出して言いたかった。この子がどんなにいい子かは、僕が一番よく知っている。

火曜は鮭のソテーに根菜サラダ。

水曜はようやくやめる決心をした産休インストの最後のヨガ(のはず)だが、カレーでなくチキンのトマト煮になめこ汁。「私がいない時はあの子の好きなものを作っておかないと」と言い残して妻は出ていった。