良きアメリカ人

GWを前にオバマ大統領が来日した。一国のリーダーの責務の大きさと重さはパンピーの想像を絶する。まして相手は合衆国大統領だ。来日中のスケジュールを見るだけでも目が回るほどの忙しさだ。
▼まず23日の夜、到着するなりシンゾーとザギンでスシをつまみ、店を出たのは22時過ぎ。ニュースを見ていた妻はしきりに「遅い遅い」を連発していた。そんな遅い時間にナマモノを、しかも長旅の直後の疲れた身体に入れるなんて、妻でなくとも大丈夫かなと心配になるというものだ。
▼その晩はそのままホテルに直行。それでも部屋で落ち着いたのは日付が変わる頃じゃないかしら。とても迎賓館どころではない。息子の引越くらいで「ホテルで寝るだけ」なんて泣きが入るようじゃ、とても大統領の激務は務まらない。まあどう転んでもなりっこないけど。
▼翌24日はアサイチで天皇陛下にご挨拶し、すぐに首脳会談、お昼から共同記者会見、夜は宮中晩餐会、その間にニュースで見た限りでも拉致被害者家族に面会し、流鏑馬を見学し、高校生(中学生?)の訪問を受けている。そして25日には再び陛下に挨拶して次の訪問地韓国に飛び立っていった。おそらくどこでもこの調子だろう。
オバマ大統領は家族会の人に「親として許せない」と声をかけた。そして韓国では従軍慰安婦は「甚だしい人権侵害だ」と発言した。率直な感想だと思う。感想とはそれについて勉強したりレクチャーされたり熟考したりした後で出てくるものではない。物事に対する素直な第一印象のことである。
オバマ大統領が漏らした感想は、テレビに映るオバマ氏やキャロライン・ケネディ駐日大使から我々が受け取る「実直な人」という印象と合致する。その信頼感は、「彼らは自分の価値観を他人に押しつけるような種類の人間ではない」という安心感からくるのではないだろうか。それは共和党の人にはない、リベラルの人に特有のものだ。
▼日曜には家族そろって教会で賛美歌を歌い、クリスマスにはママが七面鳥を焼きパパがプレゼントを買ってくる敬虔なクリスチャンの温かい家庭…強いとうさんと優しいかあさんの「大草原の小さな家」のような、保守が守りたい古き良き理想像もわからないではないが、やはり幸福の形は人それぞれ違ったものでありうるのだ。
▼金曜のすっぴんでは我らが源一郎アニキが、来日したオバマ大統領のスピーチを紹介していた。オバマ演説集の中から、彼がまだ大統領になる前、イリノイ州の州議会議員でしかなかった2004年の民主党党大会の基調講演、それにより一躍彼を全国区の政治家に押し上げた名演説の日本語訳を七分の長きに渡り朗読したのである。
▼「保守のアメリカもリベラルのアメリカもない。あるのはアメリカ合衆国だけだ」というセリフで有名なこのスピーチは、ケニアの小さな村の羊飼いという出自の自分が今ここに立っている奇跡は、アメリカ以外の国では起こりえなかったものだと説く。そしてそのアメリカをアメリカたらしめている本質を、手を替え品を替え繰り返し説明しようとする。
▼一言で言って、それは「人間への素朴な信頼」のことだ。現実は困難なものであっても、今日よりも明日の方がいいと素直に信じられる心。それがオバマ氏が両親から受け継ぎ、娘たちにも受け継がれていると信じる属性であり、さらには自分の物語を超えてアメリカという大きな器に共通の物語なのだ。
▼「素朴な信頼」は「素朴な価値観」とは違う。一方は肯定と承認の哲学であり、他方は否定と排除の哲学である。いかん、GW連休工事が始まったというのにこんなことしてる場合じゃないよ。「テルマエ・ロマエ」見ててすっかり遅くなってしまった。

オバマ大統領が宮中晩餐会している頃の我が家は妻の得意レパートリー角煮オムライスにアボガドサラダ。

昨日はガードマンにもらったタケノコとワラビの煮物とおこわにハンバーグ。もらったというより「タケノコ食べたいなあ」と言ったらくれた。賄賂の強要にあたる。

そして今日は絶品カラアゲにわらびのおひたし。下の子に僕の風邪がうつった。かなり伝播力のある強力な菌のようだ。僕の方はかなり調子が悪かったのだが、連休工事の開始と同時に忘れてしまった。大人になると寝込んでられないから病気にならない。まさに病は気からである。