貧困の捉え方

この時期に相応しい好天が続いていたが、それも今日まで。明日から大雨だ。
▼昨日は久しぶりにNスぺを見た。テーマは「女性と貧困」過去にクロ現で取り上げたところ反響が大きかったため、尺を長くして再度放送されたものだ。Nスぺも以前はよく見たが、最近はあまり見ない。昔はただただ感じ入っていただけだが、今は食い足りない内容のものも多い。なにより物の見方が一面的に過ぎる。
▼番組では、五組の貧困女子の事例が紹介される。①母親と14才の妹と三人のネットカフェ暮らしがもう二年半になる女性。②高校への進学をあきらめ、朝の5時からコンビニでバイトして母親と妹との暮らしを支える19才。③休みの都度、時給の高い東京に学費を稼ぐ目的で上京する愛媛の女子大生。④大学を出ても就職できず、学生時代からのバイトを続ける女性。⑤幼い子供の将来のため、公的支援を受けながら職業訓練を受講する母親。
▼キーワードは貧困の連鎖。共通項は非正規5/5、母子4/5、コンビニバイト2/5、ネットカフェ2/5、保育士2/5などである。彼らはある日離婚や死別によって母子家庭となり、母親がパートをかけもちして家計を支えるが月収は15万程度。次第に困窮し、最悪の場合ネットカフェ難民になる。貧困から脱出するためにはスキルが必要だが、教育投資は多くの場合借金を背負うリスクの方が大きい。
▼彼らの行動は一見不合理に見える。例えばネットカフェで暮らす母娘三人の場合、長期滞在割引一泊1900円にしても、×30日×3人だと月18万近い住居費を支払っていることになる。もちろん光熱費等は込みだが、あまりにも非効率的だ。それとも番組からはうかがえなかったが、極端な親子割でもあるのだろうか。
▼あるいは大学の休みに学費出稼ぎに上京する女子大生。東京と愛媛の平均時給の差額200円は、往復の旅費(最安の深夜バスでも2万?)+滞在費(ネットカフェ1900円/日)+食費(ネットカフェで自炊できないのですき家の牛丼×2食/日でも最低500円/日)を補って余りあるほどの魅力なのだろうか。おそらくこれは単に地方には稼ぐ場そのものがないということで、平均時給は関係ない。
▼あるいは公的支援職業訓練を受ける若い母親は、ハリキッテ働きすぎて月の給付金を減額されてしまう。この女性の職業訓練と、早朝5時のコンビニバイトの女性が今春入学した専門学校のいずれもが保育士の資格獲得を目指すものだ。いずれも300万をゆうに超える学費を必要とする。他人の夢をけなすつもりはないが、コスパはあまりいいとはいえない。
▼大学を出ても就職できず飲食のバイトを続ける女性には、500万を超える奨学金の返済が重くのしかかる。彼女はインタヴューに「(ちゃんと就職できていれば)ボーナスとかですぐ返せるつもりだった」と答えていたが、正社員として採用された同じ大学の友人の就職先は、カラオケ店で月収15万ボーナスなしとの情報がテロップで流れ、作り手の意図が感じられた。
▼いずれの場合も、もう少しどうにかなるんじゃないかと思う事例ばかりだ。つまり大多数の庶民は、収入面では似たような環境にある。その一人十数万の稼ぎを家族で持ち寄って、持ち家+軽三台の暮らしを実現しているのだ。生活とは、そのほんの少しうまくやる才覚のことで、資本も高等教育も必ずしも必要というわけではない。
▼これらの事例を、例えばNスぺ流に重苦しくワーキングプアの流れ、あるいは女性や弱者という括りで社会問題化することもできる。でも僕が貧困女子ときいて、よりピンとくるのは民放バラエティの「ボンビーガール」の方だ。あるいはちょっと前の貧乏バラエティ「銭型金太郎」。
▼このような態度は、現実から目を逸らし、問題に真正面から取り組むことを避けていると批判されるかもしれない。しかし真剣に考えているようで、親身に寄り添っているようで、実は上から目線というのはよくある。貧乏を笑うことと貧乏人を笑い者にすることは違う。貧困というと悲しいが、ビンボーは滑稽で人情味があり、笑いと相性がいいものだ。

今日はナスとトマトのパスタにトマトサラダ。昨日は丸一日ヨガカレー。