己とバルザック

昨夜日付が変わる頃からザアザアと雨の音が聴こえ始めた。予報通り、今日は朝から激しい雨の一日となった。
▼例年、春から初夏にかけてブログの更新頻度があがってくる。さすがに毎日とはいかないが、比較的ヒマなのと過ごしやすい気候が相俟って、ほぼ一日おきのペースである。いつの間にか僕の拙いブログも三年半。前身のブログ人もあわせると、足掛け6年に渡り、折々の心情を吐露してきたことになる。
▼前後の脈絡など気にせず、ただ思いついたことを気ままに書いていると、6年の間に同じテーマについて何度も触れることになる。それだけならいいが、ひとつの同じ事象について、自分でも気づかないうちに正反対の意見や感想を述べていることがある。他人から見れば引っ掛かるかもしれないが、当人に翻意の意識はまるでない。
▼例えば前回取り上げた貧困女子について。過去ログをひもとくと、ちょうど一年ほど前に、ネットカフェ難民母娘を紹介する民放番組を見て、現代社会は弱者への配慮が足りないと書いている。ところが前回のブログでは、ボロは着てても心は錦的な、貧乏を笑いとばす視点がほしいと真逆の主張になっている。でもなんか違う。もうひとつ感じていることをうまく説明できていない気がする。
▼仏文科二年のバルザック演習で僕が唯一覚えているのは、教授(の名前も忘れた)がバルザックの世界観を解説する場面だ。黒板に人の絵を描いて(顔を○身体を□で表した単純なもの)真ん中に線を引く。「ある人物をこっちから見ると白、こっちから見ると黒く見える。でも二人が見ているのは同一人物だ」
▼先生はこうも言った。「昔は外国文学を志す学生は大学に入る前に訳書は全部読んでいたもんだ。その中から特に好きな作家を原文で読みたくて学科を専攻する。スタンダールが好きな奴はスタンダリヤン、フロベールが好きならフロベリヤン。それが今じゃ第一志望の文芸科の選に漏れた連中の吹き溜まりだ」僕はその時「バルザック好きはなんていうんだろう。バルジシャンかな」と考えていた。
▼演習の課題レポートは、たしか授業で抄訳を進めていた「谷間のゆり」の感想文だった。課題のために新潮文庫を買って初めて読んだ僕のレポートは、もちろん「可」。僕は大学に在籍した6年間のうち、最初の2年しか単位を取得できなかったが、向学心に燃えていたその時期でさえ、「優」は柔道を選択した体育だけで、あとはみんなギリギリ及第点だった。
▼貧困女子のルポを見て、僕は不器用なあの頃の自分をある懐かしさをもって思い出す。外国文学の素養もないくせに、漠然と文学的才能があるような気でいた僕は、ある意味「奨学金なんてボーナスですぐ返せる」と思っていた飲食バイト女子のようなものだ。大学2年で素養も才能もない自分に絶望した僕は、学校にも行かず世界文学全集を一から読み直し(初読だが)、読めもしない原書を買い集め、ラテン語どころかギリシャ語にまで手を出した。
▼でも先生もおっしゃっていたように、素養がないのは何も僕ひとりじゃなかったはずだ。それでもほとんどの学生は自分に絶望なんかせず、ちゃんと単位を取って卒業していった。原書どころか訳書を読んでなくたって、日本語のレポートくらい書けるだろう。生きていくとは、そうやって友だちとノートを回し、代返をたのみ、適当に書いたレポートを出すだけは出して、学生生活をうまく乗り切っていくことと同じだ。
▼番組では、一度貧困に陥るとなかなか抜け出せない「貧困の連鎖」と「階層の固定化」を強調していた。でもそんな話は昔からあって、別段目新しいものじゃない。生きていくために必ずしも資本は必要ないし、だいたい世の中そんな資産家ばかりでもないだろう。彼女たちは孤立している。彼女たちに欠けているのは、世代を超えて受け継がれる遺産などではなく、まずは仲間だ。つまり番組は、縦に連鎖する貧困より、彼女たちに横のつながりがないことを指摘すべきだった。
▼彼らが孤立を解消するには、社会やシステムの側が提供しなければならないものばかりではないだろう。まずは己を知ること。そして周りを見渡すこと。そうすれば心に少しゆとりができる。他人に心を許す余裕が生まれる。

昨日はポークソテーにスパサラ。

今日は照焼チキンピザにサラダ二種にキンピラレンコン。