変わるもの、変わらないもの

暑いのか寒いのかよくわからない気候だ。でもやっぱり思ったよりは寒いのかな。風邪が治んないもの。過去ログをたどると、症状が出てからかれこれひと月になる。おそらく長男の引越の時、千葉か東京でもらってきたんだろう。池袋で雨に打たれたせいか、都心のホテルの外人臭にやられたか。熱こそ出ないが、この間ずっとグズグズである。
▼GWも終わってみればあっという間だった。仕事は重要な課題が山積しているが、現場がない(かあっても放置できる程度な)ので、昼間事務仕事できるから楽なもんである。逆に先日紹介した女性公務員(と決まったわけではないが、最近復活してうれしい。更新が途絶えていた年度替わりはよほど忙しかったんだな)ブロガーさんなんか、事務仕事だけで毎日午前様って、いったいどんな根の詰め方だ?いずれにしろ相変わらず定時に帰宅する日々である。
▼連休中に大人買いした書籍のうち、カズオ・イシグロの「わたしを離さないで」を読了。名作「日の名残り」に次ぐ傑作だ。まだ二作しか読んでないけど。村上春樹か誰かが、次回作を楽しみにしている作家としてカズオ(友だちじゃないけど)を挙げていたのがよくわかる。ハズレがない。マチガイがない。幸いほとんどの作品がハヤカワepi文庫から訳出されているので当分楽しめそうだ。
▼一般的に読みたい本と出会うには、書評でも読まない限り存在を知ることもできないはずだ。中には解説から読んだ方が物語に入りやすいという積極解説派もいるだろう。つまり本を読む前に、本の中身についてある程度の知識を持つのは当たり前のことだと言える。しかしこの小説は、できるかぎり事前に粗筋などの情報を遠ざけた方がいいタイプの作品だ。だからできることならネタバレにつながるレヴューは避けたいのだが、僕の筆力ではちょっとムリかな。
▼臓器提供の話である。物語はドナーの介護をしている主人公が、自分たちが幼少期を過ごした施設での日々を回想する独白の形で進む。ただ施設の仲間や先生とのエピソードが淡々と語られるだけなので、初めのうちはなんのことかわからない。僕は最初、イギリスには施設の貧しい私生児たちの臓器を利用するような仕組があって、これはその告発の書かと思った。
▼やがて、物語がかなり進んだ頃に、彼らがそもそもの最初から臓器提供を目的に造られたクローン人間であることがわかる。先ほどネタバレがよくないと書いたのは、施設の子供たちが成長するに従って自分たちがそのような存在であることを理解していく軌跡の、その一筋縄ではいかない感を表すのに、子供たちの理解度と読者の理解度の足並みが揃っていることが重要だと思うからだ。
▼ある日、まだ無邪気に「将来は映画俳優になりたい」などと話している子供たちに向かって、ひとりの先生が語りかける。「あなたたちは教わっているようで、本当には教わっていません。あなたたちに老年はありません。やがて臓器提供が始まります」未来が奪われているという意味で、施設の子供たちの運命は、ある意味ガンの宣告を受けた患者や死刑囚の立場と同じものだ。彼らは自分たちの運命を、葛藤しながらも成長とともに理解し、受け入れていく。
▼臓器提供を目的としたクローン人間である彼らは、セックスしても子供はできない。でもセックスそのものも含めて、他のことは全て普通の人間と同じである。時に相手構わずセックスがしたくてたまらなくなる自分を、おかしいんじゃないかとあれこれ思い悩んだり、仲間の小さな思いやりを大切な宝物として生きていくことなど、心の動きまで含めて。
▼クローン人間が出てくるからといって、この小説に「マトリックス」や「オブリビオン」のようなハリウッド近未来SF小説の趣は全くない。強いていえば、「ブレードランナー」のレプリカントたちの葛藤とテーマだけは同じだが、SF色を徹底的に排したところにこの小説の成功がある。どんなに科学が進歩して、やがてクローン技術が現実のものとなる日がきても、我々の生きる世界はきっとこのようなものだ。それは有史以来の昔から変わらないと思う。
▼かっての施設の主任保護官が言う。「子供たちに本当のことを教えようとしたあの先生にはやめてもらいました。将来の運命が決まっていると教えて何になります?今やっていることが無意味だと言い出すでしょう。そうなれば私たちが言い返す言葉はありません」運命を受け入れることも大切だが、与えられた運命を懸命に生きることも劣らず大切なことだ。人生とはまさにそのようなものである。芸術系人気女性ブロガーが「人生とはカズオ・イシグロの小説である」と書いてたけど全くその通りだよ。

火曜は焼肉。

水曜はトリテリ。木曜はヨガカレーで写真なし。

そして妻の最新ネイル。