広島風お好み焼き的記憶

一日おきに雨が降り、一日おきに大幅に気温がアップダウンする。晴れれば夏日、降れば肌寒い日に逆戻り。そういえば今夏はエルニーニョ現象で、かなりの確率で冷夏が確定らしい。冷夏=雨が多いということだが、去年のような酷暑よりはマシか。
▼昨日は下の子が修学旅行で不在だったので、いつものように定時で帰宅後、妻と映画&夕食デートに出かけた。近くのシネコン併設ショッピングモールで夕食を食べ、「相棒Ⅲ」を観ることに。食べ放題回転寿しか食べ放題ビュッフェか迷った末、映画の始まる時間を思い出して正気に戻り、結局お好み焼きにする。広島風というのがめずらしいのか、平日にしては混雑していた。
お好み焼きは、ソバとキャベツが生地にサンドされた広島風と、全部ごちゃまぜの大阪風に大別される。僕はふわふわ食感の大阪派。具材がバラバラだと崩れて食べにくいし。でもたまには広島風もいい。広島風を食べるのはいつ以来だろう。実家で法事のあるマスターと広島で待ち合わせてお好み村で飲んで以来だ。上の子が生まれてすぐだったから、20年近く前のことになる。
▼広島は地元の友人が呉にいたので、学生時代に二度ほど足を運んだことがある。一度目はまだ僕が精神病(アル中)を発症する前のことで、呉の寿司屋とバー、それに広島市内のお好み焼きの名店に連れていってもらった。二度目は原書でパンパンの紙袋片手にウォークマンのボブ・マーレイをボリュームいっぱいで聴くスタイルだったから、既に発病していたにちがいない。たしか二度とも夏休みで、一度目は冷夏、二度目は猛暑だった。
▼呉の友人の方も、覚えているだけで三度は遊びに来てくれた。三度とも僕は発病していたが、一度目は二人で伊豆、下田を回った。一泊目は嵐、二泊目は雪が舞っていた。二度目は彼が卒業航海で東京に寄港した際に連絡をくれた。築地に寿司を食べにいった。築地に行くのは初めてだったが、知ったかぶりして僕が案内した。
▼彼は帰りに停泊している船に僕を案内してくれたが、呉で会ったことのない船員が僕を見て「こいつホントに東京に四年もいるの?」と耳打ちしているのが聞こえた。たしかにその時僕が着ていたのは、まだ高校の頃母が買ったものだった。埠頭に座って酒屋で買ったカナディアンクラブをラッパ飲みしながら時間まで話したが、ひどく惨めだった。それから悪酔いした僕は、いつものようにマスターの店に寄り、アルバイトの男の子にカラミ酒を繰り返した。
▼三度目は入庁二年目の彼が研修で出てきた時だと思う。東京が不案内な彼のために、宿泊先の千葉まで僕が出向いた。ちょうど彼女とつきあい始めたばかりだった僕は、彼が田舎者に見えてしかたなかった。一軒目を出て、ほろ酔いの彼に栄のソープに繰り出すことを提案された時、恋をしていない時期ならホイホイついていくところを、僕は軽蔑を込めて拒絶した。
▼最初彼はびっくりした顔をしていたが、何も言わなかった。駅まで送ってくれた彼は、別れ際に僕を頭のてっぺんからつま先まで眺めて、「小奇麗な恰好してるし、まあ大丈夫だな」と言って去っていった。その時初めて僕は、自分が彼のことをずっと見下していたことに気づいた。そして同時に、実のところ僕の方がずっと彼に心配されていたことも悟った。
▼次に彼と会ったのは、また東京だった。都落ちして最初に東京に遊びに行った際、二年毎に現場と本庁勤務を繰り返す彼の在京時期が一致したのだ。共通の友人と三人で飲んだ後、彼の宿舎に泊めてもらった。朝起きて何気なく手元のハガキを見ると、その頃流行りのダイヤルQ2の請求書が10万くらいきていてびっくりした。背広を着て出勤する彼に追い立てられるように宿舎を出た。もう彼からヒロシマの風はそよとも吹いてこなかった。
▼昨日14日はトーホーの日。料金割引の分浮いたお金でポップコーンとジュースのペアセットを買って仲よく食べた。映画は元自衛官民兵組織が訓練を行う絶海の孤島が舞台だったが、僕がお好み焼きを食べながらヒロシマモナムールの追憶に沈んでいたように、妻も今夏の友人たちとの島行バカンスに想いを馳せていたようだ。夫婦関係は同床異夢くらいがちょうどいい。「相棒」シリーズは、テレビにしろ映画にしろよくできている。率直に言っておもしろかった。

月曜はチキンカツ。

火曜はナシゴレン。そして昨日食べた広島風お好み焼き。