オボカタさんの英語力

朝から土砂降りのはずがいっこうに降り出す気配がない。途中で晴れ間ものぞいたりして。低気圧の歩みがよっぽどのろいんだな。ただ風だけは強い。不穏な空気だ。
▼これだけ現場がないと、精神的にも肉体的にも影響が大きい。見積や打合せなどの仕事がないわけではないが、緊張感がなく全くやる気が出ない。身体もなまる。久しぶりに和便器で大したら、お尻を拭く時手が外から回らなかったよ。僕は経験者なのでわかるが、柔道界では百貫デブはめずらしくはない。彼らはお尻を拭く時股の間から手を入れる。その外か内かの分かれ目が、ちょうど体重100キロくらいだ。僕も大台に近い。これが相撲取りになると自分では拭けなくなる。
▼さて、今年に入ってから半年近く僕らを楽しませてくれたオボカタ劇場にも終幕が訪れつつある。直近の情報では、STAP細胞を元に培養したはずのSTAP幹細胞に、元のマウス由来ではない遺伝子が見つかった。事ここに至って、論文に使われたSTAP(幹)細胞は限りなくES細胞が混入したものである可能性が高くなってきた。って、ここまで書いて、自分でもどこまで理解できてるかようわからんが。
▼よくわかるのは、日本人研究者にとって、研究そのもので成果をあげることもさることながら、英語で論文を書くことが、常に同じくらい高い壁として立ちはだかっているということだ。日本人研究者は、最初から英語という巨大なハンデキャップを背負って世界と戦わなければならない。
▼英語なんて誰でも喋れるだろうと思うなかれ。日常会話と科学論文の日本語が違うように、英語にもその違いはある。それは例えるなら、下の子が日経は読めないけど日本語は喋るのと同じことだ。想像だけど。オボカタさんは留学経験があるどころか、バカルディ教授の研究室で一年以上研究していたのだから、僕(英検2級)より当然英語力は上である。じゃあどのくらいか。
▼とりあえず状況証拠を並べてみる。①博士論文の全体の6分の1にあたる分量が、他の英語論文のコピペだった。②STAP細胞の論文はネイチャー以外の科学誌も含め落選続きで、成果を焦る理研が、その辺の事情(英語)に明るいササイ氏に論文の仕上げを命じた。③オボカタさんは、通常は必須である英語のヒアリングを免除されて理研に採用された。④理研に提出された研究計画は、ハーバード大のSTAP細胞に関する特許出願を流用したもので、これによりオボカタさんの英語力は高く評価されていた。
▼以上のことからわかることは、オボカタさんの英語力が日常会話はともかく、少なくとも論文を書くレベルにはなく、それをコピペや流用で補っていた事実である。そんなことをするくらいなら、まずいったん完全に日本語で論文を仕上げて、しかるのちに英語のできる人にそのまんま英訳してもらえばよさそうなものだが、なかなかそういうものでもないようだ。
▼それは研究や実験データを元に論文を書くことが、意味を伝えることではないからだ。それが意味を伝えることなら、「細胞にストレスを加えると初期化して万能性を獲得します」と言えば事足りる。僕にはムリだけど、この日本語を英訳することもそれほど難しいことではないだろう。
▼これは文芸作品の翻訳は可能かという議論に似ている。何かを科学的に証明するとは、そう考えるに至った思考過程そのもので、これが使用している言語と不可分のものになっている可能性は高い。オボカタさんがやったように、あっちの論文からこっちの論文にセンテンスを切り貼りしてパズルのように組合せたり、こっちの言葉からあっちの言葉に1対1で移し替えられるようなものではないのだ。
▼だから研究者を目指す日本人は、ノーベル化学賞利根川MIT教授のように、小さい頃からバイリンガルになる訓練を積まなければならない。利根川さんは、将来を見据えて自分でそうしたと、日経の「私の履歴書」に書いていた。科学の世界の公用語が英語である以上そうするしかない。医者がカルテをドイツ語で書くのと同じ決まり事だ。日本語でも中身は同じじゃないかと言われれば、同じ医学でも漢方のようなテイストになってしまうといえばわかるだろうか。想像だけど。
▼「結論は同じだから」オボカタさんの口から何度も聞かれたセリフである。その考え方が、博士論文の導入部を数ページにわたりコピペするという考えられない行為に彼女を走らせた。つまり彼女は科学界のマスターになった当初から、ずっと同じひとつの結論を言い募っていたことになる。すなわち「STAP細胞はあります」と。
▼そんな誰にでも理解できる理屈なんかに科学的価値はありはしない。真に科学的に価値のある研究は、下々の者にはとても理解できない言葉で語られているものだ。しかしそれでは世間的におもしろくない。それでマスコミが我々でも理解できる卑近なレベルにまで事を矮小化した。これが今回の騒動の主因である。

今日は絶品カラアゲにポテトサラダ。料理も掃除も洗濯もせずに「あなたを愛してることに変わりはない」と妻がいくら言っても僕の愛は醒めてしまうだろう。研究者の信頼性は英語力で決まる。