がんばる

梅雨が明けたとたん、夏は一気にやってくる。昨日は大暑。全国的に気温が上がった。今日はさらに上がって軒並猛暑日である。明日はもっと上がるという。それでも僕には去年よりずっと過ごしやすいように思えるけど気のせいかな。
▼若い頃に鍛えられ、自分でも気づかないうちについた体力というものは、思いのほか大きいのかもしれない。夏に怖いのは熱中症だが、暑さへの耐性は人それぞれ違う。自分の感覚で物をはかると、知らず知らずのうちに他人に無理を強いているかもしれない。気をつけなければ。
▼全国の営業マンが集まる管理者養成学校でのことだ。以前は100キロだったが、脱落者が相次ぎ半分以下になった名物の40キロ行進。ほとんどの者が出発後すぐに足を引きずりだし這うようにして帰還する中、僕はもう一周してこいと言われても全然平気だった。教官に労いの言葉をかけられ感涙に咽ぶ班員たちの横で、僕ひとりだけケロッとしていた。
▼実際景色も空気も素晴らしかった。道端のどの側溝にも溢れんばかりの清流が迸る富士の裾野である。苦闘する同僚には申し訳ないが、僕は始終鼻唄まじりのピクニック気分だった。常日頃走るどころか歩いてもいない。部活を引退して以来運動らしい運動をしたことがない。
▼さて、先日当社の安全大会があった。年に一度の変わり映えのしない定例行事だ。式次第は毎年同じで①社長、来賓の挨拶②協力会社、社員の表彰③社員の研究発表である。表彰は毎年人選に苦労しているようだ。社員も下請の職長も優秀な人は決まっている。素直に選べば毎年同じ人になる。もちろん僕は一度も表彰されたことはない。もっとももう表彰されて喜ぶような年でもないが。
▼今年の社員発表は「私の見た震災」という演目を社長自らが行った。当社は震災以来東北の復興に携ってきた。「全員自分の目で現地を見てこい」という会社の方針により、僕も6月末に現地を訪ねたが、震災1週間後の3月18日には、重機、車輌、燃料が被災地に入り、遺体の捜索のお手伝いをしている。
▼W杯の負け試合にスタンドを掃除して帰る日本人は、大きな災害の混乱に乗じた犯罪が少ないことで、世界から感嘆の念をもって賞賛されることが多い。しかし今回の震災では、被災家屋からの置き引き、遺体からの宝飾品のおいはぎなど、窃盗被害額は震災後三ヶ月で六億数千万にのぼったという。
▼また、被災地入りした多くのボランティアの行為が自己満足だという批判もあったが、役に立った立たないの議論の前に、被災者が一番傷ついたのは、彼らがほとんど例外なく大量に写真(スマホ)を撮っていくことだったそうだ。僕自身、あの場に行って写真を撮らないというのはありえないと思う。難しいものだ。
▼前置きで社長は、「今なぜ震災の話か?」と自問して、「ひとつには遠い東北に志願して汗を流してくれた仲間に敬意を表して。ひとつには震災を風化させないために」と言った。会社は阪神の時も一番に災害復旧に乗り込んだが、彼はその時は地元に残って通常の業務をこなしたという。代が替わり、今結果的に阪神の時より長く復旧事業に関わることになった。その時々の立場により役割は違っても、心に秘める思いは同じなのだ。
▼その思いを一言でいえば「がんばる」ということにつきるだろう。被災地のために直接できることは少ないかもしれない。けれど、それぞれの人がそれぞれの場で懸命に生きることが、自分のため、ひいては世のため人のためになると信じている。この会社には、そういう人たちが集まっている。ローカルだとか土建屋だとかは関係ない。素晴らしい会社だ。
▼親からもらった頑健な身体とマシな頭という資本を、若い頃ほんのちょっと鍛えて蓄えた貯金があるのに、社会の役に立てようともせず、まだ足りないと言って嘆くばかりではエゴイストの誹りは免れまい。表彰されないはずだ。僕は全然がんばっていない。がんばって生きていかなければ。

昨日は豚茄子炒めに鳥皮サラダにベーコンポテトオムレツ。

今日は牛丼に春雨サラダ。