三食どうしよう

相変わらずすっきりしない天気である。陽射しがないのは楽には違いないが、夏としては物足りない。少しさみしい気がする。人は必ずしも快適さだけを求めて生きているわけではないのだ。
▼ウチゴハンのアップがないので、僕ログファンの中にはお気づきの方もいるかもしれないが、ただ今妻が毎年恒例の夏休み中で不在である。男三人で外食&洗濯の毎日だ。ホントに夏合宿じみてきたぞ。子供たちが二人とも小学生の頃までは、妻子で夏中帰省していたが、中学にあがって部活をやりだすとあまり行きたがらなくなった。友だちのいないところに夏休み中いろという方が無茶だ。それで妻だけ帰るようになった。
▼ひと夏の独身生活の頃は、ニオイがつくからと妻に禁じられているおうち焼肉でビールをやるのが楽しみだったが、晩酌をやめた今では、うちの中に食べ物を持ち込むとゴミが増えるので専ら外食である。だんだん食に対する執着も薄れてきたな。食事に関することがめんどくさくなるのに反比例して洗濯が苦にならなくなってきた。人間変われば変わるものだ。
▼子供らももう大きいので、最初から一食五百円×日数分の食費を渡してそれぞれ自由にやるようにしている。上の子はもういっしょに食べようとはしないが、下の子はまだ半分はついてくる。初日は帰省する妻に触発されて下の子と博多らーめんを食べにいった。店はうちから遠かったが、お酒を飲まないのでどこでも車で行ける。
▼昨日はまた下の子と近所の盛りのいい蕎麦屋に行った。そして今日はめずらしく上の子もついてきて、博多らーめんの別のお店に。お盆休みのせいか、どこも孫を連れた三世代家族で混雑している。うちの子たちも、つい5年ほど前まではそうだったはずだ。月日はすぐに流れてしまう。
▼それ以外の日は、朝は惣菜パン一個に牛乳、昼はコンビニ弁当、夜は吉牛とすき家のローテである。ジュースとアイスを買い込んで、うちで過ごすのが一番楽しい。先日映画に行った時も、街中の立駐から映画館、映画館から立駐と脇目もふらなかった。ちょっと前までは、映画が見たいのか、それともそのあと飲みに行きたいのかわからなかったところだ。
▼高校の時、交代でスピーチをする機会があって、街中の進学校に入ったので毎日繁華街で遊んで帰れるかと思ったらそうでもなかったというような子供じみたことを言うと、方々から「遊びたいなら遊んで帰ればいいじゃん」と手厳しいヤジが飛んだ。要は何がしたいかだ。自分の本当の欲望を自覚することから大人への第一歩が始まる。
▼このあいだテレビで自給自足生活の家族を取り上げていた。罠で捕まえたシカやイノシシの肉を使ってハンバーガーやラーメンを作るのはいいが、石臼で粉を挽く麺づくりから始めるので、昼食が終わったらすぐ夕食の準備に取りかかる。だいたい15時頃挽き終り、そこから生地をこね、麺にする頃にはもう夕方だ。
▼「自給自足生活の一番の楽しみはなんですか?」との問いに、奥さんと小さな子供三人の家族を代表してご主人は言った。「やっぱり食べることですかね。結局食べることに関することをしている時間が一番長いわけですし」一番長いというより、一日中メシの支度をしている。それ以外のことはしていない。
▼最初は自給自足生活を送る家族を羨望の眼差しで見ていた僕も、一日中食事の準備をする生活を一生続けることはできないと思った。人はみな生きるために食べ、食べるために生きるほかはない。しかしそのことを忘れる瞬間があってもいいと思う。人はパンのみのために生きているのではないからだ。