内外の変化

驚くほどの秋の空気である。あんまり気持ちよくて、親子3人午後中眠ってしまった。全くガラッという音が聴こえるほどの季節の変わりようである。僕も変化についていけないタイプの人間だな。
▼下の子は昨日既に始業式を終え、この土日が休みで月曜から通常授業である。週休2日制でカリキュラムを消化するのがたいへんなのはわかるが、やっぱり始業式は9月1日でないと。8月29日の始業式なんてメリもハリもあったもんじゃない。無理を通せば道理が引っ込む。いろんなことが泥縄式になってきていることは否定できないと思う。
▼朝起きて、今日は仕事に行かなくていいと気づくまでに多少時間がかかった。そう気づいた時の安堵感といったら。ゆっくり朝食をとり、新聞を読む。午前中は下の子の駅伝の練習の送り迎え。今までずっと妻に任せきりだったので、休みの日くらい代わってやらなきゃ。同級生も何人か拾っていく。下の子は友だちの家につくたびに「今日はお父さんだよー」と興奮気味に尻尾を振って飛び出していく。犬コロだ。
▼車で往復一時間くらいにある運動公園なので、9時から11時の練習なら午前中はつぶれる。妻が嫌がるはずだ。駐車場には、シートを倒して二時間昼寝を決め込むお父さんもいる。コナラの多い公園には、スズメバチやアオスジアゲハの姿が見られる。これが夏の盛りなら、待ち時間にカブトムシやクワガタを探すところだ。
▼子供たちを下ろすと、僕は市の中心部に逆戻り。車を走らせながら、仕事でお世話になった人のお見舞いの品を考える。開腹手術した人の見舞の品は何がいいだろう。食べ物を自由に口にはできないだろうから、菓子折なら日持ちするものがいい。でも日持ちのするものはあまり美味しいとはいえない。お花にしようか。でも花瓶にいけたり手間がかかる。
▼お花でもくだものでも、何かいい香りがするものがいい。病室が明るくなるような。結局果物家さんと相談して、その店のオリジナルのゼリーにした。病室を訪ねると窓のない個室で、勝手に大部屋と思いこんでいたのでちょっと心配になった。いったんはお腹を開いたのだ。体力が戻るにも時間はかかるだろう。一日も早い快癒を祈る。
▼子犬たちを連れて帰ってお昼を食べるとたちまち眠り込み、起きたら夕方である。妻と買物に出かけ、近くのショッピングセンターでこの夏最後になるであろう冷たいものを食べる。

晩ごはんのメニューは、上の子は自由行動なので、下の子用にお寿司を買って、あとは夫婦二人分を考えればいい。

ビーフパストラミとブルーチーズのサラダに豆腐とお揚げ。

この休みだけ飲む僕につきあって、妻もノンアルコール飲料でつきあってくれる。
▼以前社長から、この地域の食品スーパーでは取引のある地場大手企業のチェーンが好調だと聞いて、少し意外に感じたことがある。値段も量も中途半端な気がしたからだ。好調の理由が今わかった。子育て世代や貧困世帯、外国人労働者なら、ただ安くて多ければそれでいい。しかし子育てが終わった夫婦、つまり僕らより上の世代は、もう量もいらないし、多少高くても美味しいものがいい。そして日本は老人大国なのだ。
▼多様化する消費者のニーズをどう読むか。商売は想像力のある者だけに許されたゲームだ。学校の成績ではなく、本当に頭脳と胆力に秀でたものしか参加することはできない。世の中はどんどん変わる。僕もその変化についていって、お金のニオイに鼻が利く人間になるか、何も考えずにただ作業してサラリーを得る人生で終わるのか、今が瀬戸際だ。
▼広島の豪雨災害にボランティアが入っているニュースを見て、ふと日帰りで参加することを考えた。地理的に日帰りで行ける距離だという勘違いに気づくのにしばらく時間がかかった。僕は自分が地元にいるものと錯覚していたのだ。でもボランティアに行こうなんて気になったのは生まれて初めてだ。今度の土砂災害は悲惨なものだが、そのせいじゃない。動機は専ら僕の側にある。若い頃は世界平和なんてカッコつけても、今までは自分のことで精一杯で、他人を本当に思いやる余裕なんてなかったんだ。