夏休みが楽しかった頃

ここ二日ほど台風一過のピーカンである。今週いっぱいは残暑ということになりそうだ。まだまだ陽射しは強いが、空気は乾燥している。空にはひつじ雲が浮かび、陽が落ちると虫の音に秋の静けさがいや増す。昨晩は見事なスーパームーンが浮かんでいた。日一日と深まる秋が楽しみな初秋である。
▼テニスの全米オープンは、錦織選手が惜しくも準優勝に終わった。出勤間際、既に劣勢を伝えるテレビに思わず「ああ、ダメか…」とタメ息を漏らすと、下の子がポツリと「これだけでもすごいことだと思うよ」と言うのをきいてハッとした。ホント、ダメなんてとんでもない。贔屓する気持ちが強すぎる余り、つい森元首相になるとこだったよ。
▼その下の子だが、野球塾をやめたいと言い出した。やはり駅伝との両立は難しかったようだ。それと、この子は目の前のこと以外は身が入らないところがある。野球塾に入ったのは、ちょうど中体連の佳境の頃。野球熱に浮かされていた時期だ。引退して急速に熱が冷めてしまったのかもしれない。友人関係も、ついこの前まで野球塾の子たちとじゃれていたのに、最近は駅伝の仲間とばかり遊んでいるらしい。
▼県知事が学校別の成績を公表して文科省とトラブルになっている学力調査、いわゆる実力テストでは、250点満点で100点も取れなかったのが、ようやく150点前後まできたのに、また100点そこそこに逆戻りである。本人いわく「夏休みで全部忘れてしまう」らしい。根がマジメなので、毎日授業と宿題がある時期であれば、こんなことはないと思うのだが。
▼上の子は毎晩地元の友人たちと遊び歩いて朝帰りの日々である。そのまま昼まで寝て、起きたら自動車学校に通う生活だ。全くただただ時間を浪費しているだけだが、自分の学生の頃のことを思い出してみると、同じようにただただ時間を浪費していただけなので何も言えない。全く血は争えないな。
▼大学1年の夏休み、僕は親友と青春18きっぷで日本縦断旅行に出かけた。生まれて初めて北海道に渡ったが、広すぎて函館から札幌までしか行けなかった。それでも本土とは車窓から見える景色が違った。生えている植物の種類が違った。竜飛岬でパンツ一丁で海に入ってみたが、水が冷たくて泳ぐどころじゃなかった。
▼2年の夏休みは親友のいる熊大と、母校の柔道部の合宿だけでひと夏を過ごした。伊藤比呂美が住んでいた、あの黒髪町である。詩人の大好きな言葉通り、草木の「繁茂」するドイナカだった。高校の合宿では先生が、休憩のたびにOBにビールをふるまう。調子にのって飲んでいたらもどしてしまった。ったく吐くまで飲むなよな、みっともない。でもこの頃まではまだ暗さは見られない。大人になるまでは、夏休みほど楽しいものはないというのがよくわかる。息子もきっとそうなのだろう。
▼3年の時は、夏中バイトしたお金で10月に失恋傷心旅行に出かけた。この時のことは過去ログにも書いたので興味のある方はそちらで確認してください。留年が決定した4年次には、広島の友人のところから、当時の父の勤務先の佐世保に帰ったが、父に小言を言われてうちを飛び出し地元の友人のうちにやっかいになった。お母様が友人に、「いつまでいるつもりかね?」と言ったらしい。東京に戻る頃にはすっかり涼しくなっていた。
▼病気(アル中)が悪化した5年の夏のことは全く覚えていない。そして6年の夏は、人生で一番ツラい夏となった。隅田川の花火大会以降、もう彼女から連絡がくることはなかった。自分の誕生日までの十日余り、僕は一縷の望みを抱いて固定電話とにらめっこしていたが、ついに堪えきれず彼女に電話した。コール音だけで留守電にもならなかった。今度は自分の電話線を抜いたり差したりして二、三日が過ぎる。そして小石川植物園での最後のデート。
▼妻はとうとうヨガのインストラクターになってしまった。ジム二軒と契約を結び、あとは初日を待つばかりだ。僕としては、ただカレーの回数がこれ以上多くならないことを願うのみだ。あと自分でゴハンをよそいたくないだけ。

日曜はミートローフ。

月曜はチキンバー。

火曜は新ジャガの肉巻。