食足りて衣足りない秋の夜

台風シーズンがやってきた。台風がいやらしいのは、発生から当日までの数日間心配でヤキモキし、対策でアタフタし、たいていはたいしたことなくてホッとするのも束の間、ピーカンの暑さが対応で疲れた睡眠不足の身体を責め苛むところだ、僕はまちがいなく神経症だと思う。
▼神戸の行方不明女児が、バラバラ遺体という最悪の形で発見された。またしても不遇な四十代後半男性による犯行である。彼は酒好きで、事件の一週間ほど前に髪を金色に染めたという。全く身につまされる。僕自身、妻が結婚してくれなければ今ごろどうなっていたかと思うとゾッとする。
▼彼の今日までの道のりはあっという間だったに違いない。何もしないうちに人生は過ぎる。なんとなくうまくいかないまま時間だけが過ぎ、気がつけばもう残り時間の方が少なくなっている。現在の不遇を耐え忍んでも、将来が好転する可能性はゼロだと悟った時の気持ちはどんなものだろう。
▼僕も人の親だから、最愛の子を亡くした親の気持ちも想像しないわけではない。でも犯人を鬼畜と決めつける気にはどうしてもなれない。人生に本当に絶望した人間に残された行動は二つに一つだ。自ら命を絶つか、アモクか。いずれにしろ自ら破滅しようとしている人間に自制を促すのは簡単ではない。
▼大阪出身で鹿児島に転居し、水産高校を出て陸上自衛隊入りし、2年で除隊した後は職を転々としていた彼の人生の特徴を一言でいうなら、それは「脈絡がない」ということにつきる。なぜ大阪から鹿児島に?なぜ水産高校から陸上自衛隊に?なぜ2年で除隊?そこには本人にしかわからない理由があるのかもしれないが、外から窺い知ることはできない。
▼水産高校から自衛隊に入るなら海上自衛隊だろう。なぜなら海が好きだから。くだらないと思う人もいるかもしれない。しかし人生とはそうした小さなこだわりの積み重ねのことだ。そうすることが、単なる出来事の断片を有機的なつながりを持つ物語に変える。すなわちその人の人生を意味のあるものに変えるのだ。
自衛隊を出てからの彼の27年はあっという間だったと思う。職を変えても生活に変化はない。何をやっても意味がないからだ。彼がその他大勢という透明人間になることが決まった瞬間である。生まれてこの方誰にも何の影響も与えられなかった男が、最後に人の命を奪うという究極の影響力を誇示した。これが半世紀の長きにわたり、我々の社会が一人の男を疎外し続けてきたことの結果である。
▼さて、昨夜は接待営業日だった。着たきり雀のレパートリーにユニクロのチノが一本加わった。これまでのメンチノは真っ白で、どう見ても柔道着にしか見えなかった。「公の席では夏でも上着必携」の鉄則に、妻が結納返しに作ってくれたスーツの上が、ずいぶん活躍している。多少高価でも一生モノを選べる。人間の値打ちはこういうところで決まると思う。
▼今にして思えば、少しカジュアルなこの上下と、入社直後に会社が作ってくれたスーツがなければ、僕のナイトライフは全く成り立たなかった。自分でも驚くべきことに、僕は自分でスーツを仕立てたことがないのだ。ふだん制服(作業着)で働く人のほとんども、きっと事情は似たようなものだろう。
▼そういえば、僕が今の会社に初めて出社した時の格好も妻の結納返しだった。今から10年以上前のその時はまだ、ズボンもギリギリ入ったが、どう見てもパツパツだったに違いない。なぜ会社がすぐにスーツを作ってくれたかわからないが、僕は人を見られたかもしれない。
▼人前に出て恥ずかしくない格好をすることはなかなか難しい。体型、経済力、センス、TPOの判断…そこにはその人の実情のたいていが見え隠れする。その意味でも僕はキミキミ容疑者とそんなに変わらないかもしれない。

水曜は鶏とサツマイモ焼き。

木曜は和風ハンバーグ。金曜は接待。今日はヨガハヤシで写真なし。明日、明後日と二連休。ここらで気分転換しないと本当に参ってしまう。