罪と罰

東京の空は快晴の青。陽射しは肌を刺すように強い。道行く人もポロシャツに短パン、ノースリーブワンピと真夏の装いだ。セミも激しく泣いている。季節が1シーズン逆戻りしたような陽気である。
▼大学を辞める上の子の下宿を引き払うため、随分前から9月最終の日、月と休みをとっていた。丸っと二ヶ月たっぷり遊んだ彼が先発でうちを出たのが金曜。ずぼらでどうせ何もできないだろうと、追っかけで下宿の掃除に大家さんへの挨拶、大学と役所の手続き等するつもりだった。ところが土曜の夜中に連絡があり、引越も手続きもすませてバイクで出発し、途中東京のマン喫で一泊するところだという。
▼もう切符も買って翌朝出発するばかりである。せっかくだから東京駅で朝食でもとエチカで待ち合わせて千疋屋で親子三人モーニングを食べたところから望外の東京ホリデーがスタートした。

長男とはそこで別れ、前回時間がなくて妻が断念した場所を回る。まずは松戸のパン屋。電車とバスを乗り継いで昼前に団地の取付道路に面した店舗についた時には行列ができていた。

▼上野から常磐線に乗り換え北小金駅で降りる。松戸駅で特快から各停に乗ったつもりの電車も快速で、期せずして柏駅に降り立つことになった。風に乗って微かに麹の匂いが漂う。25年前、彼女と柏駅に降りた時は、はっきりと醤油の匂いがした。それ以外は芝居の演目も場所も何ひとつ覚えていない。覚えているのはただ、地下鉄大手町駅で待ち合わせ、千代田線の終電がなくなって、山手線内回りの最終で新宿駅から歩いた彼女との行き帰りだけである。
上野駅から常磐線の各駅は、東京というのが憚られるほど鄙びた印象が拭えない。東北新幹線が東京駅まで乗り入れるようになって、東北の玄関口としての役割もなくなった上野駅には、山手線の反対側にある渋谷駅とは対照的に、投資や再開発のニオイが全くしない。鶯谷から日暮里にかけて谷中墓地が見え、亀有、金町と下町が続く。
金町駅前から見える駅前の公団は工事中だった。この団地のどこかに、ナンパカメラマンとして一世を風靡した佐々木教さんは今も住んでいるのだろうか。素人のパンチラ写真がブレイクし、毎月何本もの連載を抱え、かなりの原稿料が入るようになった後でも、教さんがお金を1円も使おうとしないというのは有名な話だった。
▼必要経費や接待だけに限らず、普段の飲食や交通費まで全て編集費で賄う教さんを軽蔑したり、その理由を「若い頃の極貧生活」と分析する編集者もいたが、教さんは意に介さなかった。そんな教さんと僕はとにかくウマが合った。地元金町でも一度接待する機会があった。一軒目の洋食屋に、教さんは母親を連れてきた。こういうところが公私混同だと憤る人もいたが、単に母親にいいところを見せたかっただけだろう。あるいは親孝行したかった。
▼当時25の僕からすると相当なオッサンに見えたが、せいぜい40そこそこだったろう。そして業界での彼のキャリアもそれで終わり。既にAVの時代だったし、エロ本の編集者なんて若い人しかいなかった。僕が都落ちしてから何年かして、教さんから母親が亡くなったというハガキが届いた。「まっとうな暮らしをしているオマエが羨ましい」というようなことが書いてあった。母ひとり子ひとりだった教さんは、その時から天涯孤独の身なわけだが、今どうしているのだろう。さすがにハメ撮りは無理だが、まだ死ぬ年じゃない。
▼それから千代田線で松戸からシモキタまでひとっ跳び。本多劇場で開演中のナイロン100℃「社長吸血記」を当日券で観る。豊田商事を材にとっているようだが、そこまでテーマ性は強くない。セリフ劇で喜劇の要素が強く、客席はからは最初から笑い声が漏れる。ケラリーノ・サンドロヴィッチの演出を観るのは初めてだが、芝居の作り自体がいい意味で30年前の小劇場ブームの頃の匂いがする。てかその頃からやってるんだよね。
▼芝居が引けるともう夕刻である。いったん宿泊先のホテルにチェックインする。芝増上寺から東京タワーを見上げながら歩くと、日比谷通り沿いに見覚えのあるテラスが見える。何度も書いた通り、僕は東京にいた八年の間、このあたりには全く縁がなかったが、親友と確かにここを歩いた記憶がある。東京タワーの近くに、彼が月給八万円で働くボランティア事務所があったのだ。
▼彼に「オマエはボランティアに批判的だから」と言われたのはその際のことだったと、今はっきりと思い出した。僕は咄嗟に「ボランティアに批判的なんじゃなくてオマエに批判的なんだ」と言い返したが、実際当時の僕はあらゆることに批判的だった。自分自身は何もしようとせず、従って安全な立場から、あらゆる人を批判していた。
▼ホテルに荷物を置いて懸案の「俺の」シリーズを目指す。ホテルから程近い「俺のイタリアン新橋本店」に出かける。日曜で閉まっている店も多い中、やはり行列ができている。一時間弱待って店内に通された。「俺のサラダ」「クワトロフロマッジ(ピザ)」「オマール海老と海の幸のアラビアータ(パスタ)」「フォアグラと牛フィレ肉のロッシーニ」「仔羊のポワレ」を注文。

どれも悠に2人前のボリュームである。おかげで後半は青息吐息、メインの肉はどちらか一品でよかったが、欲をかいてバチがあたった。
▼「社長吸血記」は、会社のあるビルの屋上を舞台に、現在の投資詐欺グループと、かつてそのビルで働いていた人たちの同窓会のドタバタを交互に描く。過去と現在は繋がっている。いずれにしろ舞台は東京だ。東京2日目の僕の過去と現在の往還記は後日。