僕たちはどう生きるか

10月になったのに、連日真夏のような残暑である。強烈な台風が接近中だ。こいつが秋を連れてくる台風になるのかな。今年はまだ直撃の台風がない。今度ばかりは影響ゼロというわけにはいかないだろう。台風がさして気にならなかった頃に戻りたい。
▼たまの休みに遊び疲れて体調がすぐれない。睡眠不足で便秘になり、便秘で気分が悪くて熟睡できないの悪循環だ。体力的にはともかく気力がわかず無理がきかない。もう若くないね。仕事の数だけストレスとプレッシャーがあって何もかも放り出したいが、例えばコンビニのバイトなど責任のない仕事の報酬では家計を維持できない。一人分の責任には一人分のサラリー。世の中うまくできてるが、結婚するには何人分もがんばらなきゃならない。
▼先日、同じ年に入社した若い社員が管理職になった。予算が厳しい大型工事を次々に収めて実績十分。誰もが認める昇進である。大手ゼネコンでも間違いなく通用する逸材だ。とことん考え抜いて計画をたて、無数の懸案に冷静に対処し、大勢の作業員を指揮命令して難工事を完遂するには総合的な人間力が問われる。地元の高卒にこんな人材がゴロゴロしているのだから人間は学歴ではない。
▼上の子は期間工の募集に落ちて、目下バイトを探しながら行きたい大学の特待生受験待ちである。世の中甘くない。期間工とはいえ相手は世界に冠たるグローバル企業だ。正社員登用制度もあるし、期間工としての待遇でも下手すれば僕より上かもしれない。そんなところの面接官が、ラインを任せてリコールの車を出すリスクがあるような、いい加減な若者を採用するはずがない。
▼きけば周りはみんなスーツ姿で普段着は上の子ひとりだったそうだ。なんだか僕にそっくりだ。結婚直後、僕も安定を求めて政令市の行政職試験を受けた。倍率100倍の筆記は通ったが、10倍の面接で落とされた。周りはみんなスーツにネクタイ。遊びに行くような恰好は僕だけだった。恰好の問題ではなく、要は姿勢の問題である。
▼人生の成功者になるのに、必ずしも勉強の頭のよさも学歴も必要ない。僕がつきあっている下請の社長は、みな中卒で暴走族の頭だったような人間だ。そんな彼らが家を建て、家族にいい思いをさせ、家族以外の従業員まで養っている。成功するには中卒でもいいが、一筋縄ではいかない連中を束ねる強い意志と腕力が必要になる。腕っぷしという意味ではない。そこには勉強とは違う意味での頭のよさと、ある種の人望が必要だ。
▼なんとなく大学に行くというのが一番よくない。自分はどうやって生きていくのか。それが定まらないと、いつまでもフラフラすることになる。僕はもう先述の若い管理職には勝てない。彼だけでなく、社長と副社長以外の管理職は全員僕より若い。下請の社長連中も含めて、僕にはもう彼らを超えることはできない。上の子が今さら受験勉強なんて途方もないことだと感じる感覚は、ちょうど僕が、今さら専門知識も重機の腕ももないと感じる感覚に似ている。
▼だがこの業界で生きていくには、構造計算をやり、レベルをのぞき、時には重機に飛び乗って穴を掘りきらねばならないのだ。営業といっても仕事がわからなくて客と何を話す?安請け合いがいいとこだろう。会社にとっては迷惑なだけだ。そしてそれはどの業界でも同じことだ。こうしてみると、僕が無意識にどんな職業、どんな生き方を望んでいたかがわかってくる。
▼一昨日は妻のヨガインストデビューの日だったので、ヒマつぶしに週刊誌を買って帰った。特集は朝日新聞についての識者のコメントだったが、元ロシア担当外務官僚佐藤某氏のコメントが身につまされた。彼は漱石の「それから」に出てくる平岡の職業、新聞記者について「羽織ゴロ」の表現があると指摘してこう言う。朝日の記者は紳士然としているが、自分たちの本質は適当なことをでっちあげてメシを食うゴロツキだと自覚しろと。
▼僕もいくらブログでマスコミ批判を展開していても、責任のないところでエラソーなことを言うだけで高給を得、小奇麗な恰好をして知識人を気取りたいなら同じ穴のムジナだろう。上の子が、高卒で就職している友だちといつまでもつるんで遊びながら、自分だけは努力せずに親の金で大学に行き、将来的には教師(公務員)になって楽な人生を歩みたいと考えるのを、虫がいいと責める資格はない。

水曜は豚丼スペシャルにサラダ大盛。

木曜はヨガカレーで金曜は唐揚げ。