魑魅魍魎

台風一過の晴れ間も束の間、はっきりしない天気だ。月曜は早朝から担当事業所につめて台風対策。雨漏れも冠水もこれまで見た中で一番ひどかった。冠水した構内道路を走行中、急に減速したので、乗り変わったばかりの社用車がイカれたかと一瞬ヒヤッとした。週末はもう次の台風がきている。毎週こんなんじゃまいっちゃうよ。
▼火曜は台風で中止になった工事が二日分集中しててんてこ舞い。足らずの材料を買う必要に迫られポケットに手を入れるとサイフがない。落としたかと思って一瞬ヒヤッとしたが、今や昼間はずっとうちにいる上の子に電話するとあるという。届けてくれるよう頼むと素直に応じてくれた。千葉から引き揚げてきた原チャリで身軽なものである。約束の場所に先に着いて僕を待つ姿を遠くから眺める。どこにでもいる若者だ。この子を尊重しなければ。
イスラム過激派組織「イスラム国」の戦闘行為に先進国の若者が参加していることが問題になる中、ついに日本の学生も公安に事情聴取を受ける事態となった。東京のシェアハウスに滞在し、古書店の貼り紙を見てシリア渡航を計画した26才の休学中の北大生がどういう人間かはわからない。ただ複数の知人の話では、イスラム教の教義や中東の政治状況について特に関心があるわけではなさそうだ。
パレスチナに肩入れして無差別テロに及んだ日本赤軍というより、直観的に自殺幇助の闇サイトが思い浮かんだ。公安が検挙すべきは、シリアへの入国やイスラム国への参加ルートを教示する古書店大司教イスラム学の大学教授の方で、北大生でないことは確かだ。シェアハウスの管理人も怪しい。何の目的か知らないが(おそらくは金目当て)、いつの世にも若者の純真を利用する人買いのような輩はいるものだ。
▼ニュースでは、既に参加経験のある若者の「民主主義や資本主義経済の将来に希望が持てない」という声も紹介されていた。北大生にインタビューしたジャーナリストは「このまま日本にいても1、2年のうちに自殺する」と話していたという。さらには任意の取り調べに対し、「就職活動がうまくいかず落ち込んでいた」と供述しているともきく。
▼思想性は皆無。既に戦闘に参加した若者の言うような反西洋、反自由主義としてのイスラム帰依ですらない。罪状は「私戦準備」というものらしいが、就活戦線を離脱したデキの悪い学生の、徹頭徹尾ワガママで個人的な戦いという意味では、私戦とは言いえて妙である。いや、そもそも私的な動機によるものほど、高邁な思想の革を身にまとっているものだ。
▼大学何年のことだっただろう。こんなはっきりしない曇天の午後のことだった。僕は本部キャンパス何号館かの地下にある「哲学研究会」の部室を訪ねた。おそるおそる扉をあけると、狭い部室の中に三人ほどの学生がいて、ハイデガーの読みあわせをやっていた。部屋の奥に女学生が二人。手前にひげ面の男が一人。あるいは「ハイデガー研究会」だったかもしれない。
▼数時間か数十分か、僕は部屋の隅の椅子に腰かけ読みあわせが終わるのを待った。終わると三人は少し雑談して次の輪読会の日取りを確認し、それでお開きになった。いつの間にか女学生の姿は消え、僕は男と二人で暗い階段を登っていた。「どんなものを読みますか」「キルケゴールとか」「なるほど」男はいろいろ質問しながらついてくる。学生というには明らかに年を食っているので「何年生ですか?」ときくと「僕はここの学生じゃないんです」と言う。
▼僕自身、私淑していた先輩と上智大学キルケゴールの読みあわせをしていたこともあったので、そういうこともあるかと思い、「じゃあどこの?」ときいた。すると男は「学生じゃないんです」と答える。そして早稲田通りに出たところで「あそこに僕のうちがあるのでちょっと話していきませんか」と言いながら白いマンションを指さした。僕は気味が悪くなって「用がある」と言って踵を返した。もちろん部室にも二度と行かなかった。
▼公安も渡航もできない北大生なんか相手にしてるんじゃないよ。僕らのような小物にたいしたワルサができるわけじゃない。世の中には得体のしれない仲介業、斡旋業、悪への橋渡し役がいるものだ。彼らはどこからともなくニオイをかぎつけ、心の弱った人間に巧みに近づき、耳元で甘言を囁くのだ。

台風の日曜はナスミソ。

月曜はミートローフ。

昨日は焼肉に餃子。

今日はピーマンの肉巻。