流れ星のような人生

相変わらずはっきりしない天気である。時折晴れ間ものぞくものの、どうもすっきりしない。接近中の19号はスーパー台風だ。18号でもあれだけひどかったのに、今度はいったいどんなことになるのだろう。
▼妻のインスト生活も2クール目に入り、だいぶ落ち着いてきたようだ。「どうしよう」というようなセリフはあまりきかれなくなった。結局のところ何事も馴れである。名選手必ずしも名監督にあらず。何も難しいことをする必要はない。ジムに通ってくる生徒たち(オバサン)は、自分ができない曲芸のようなポーズより、自分ができてヨガをやってる気分になれるポーズを求めているはずだ。
▼その妻のお義父さんが脳梗塞で入院した。頭痛がして多少手足が痺れると病院に行ったら即入院。幸い軽症で、一週間程度の入院加療ですむらしい。点滴で血栓を溶かすのだろう。2、3年前のガードマンと全く同じだ。ガードマンは今では完全復帰して、相変わらず僕にリポDとバナナ一本とひと口大に剝いて塩水につけたリンゴをくれる。いずれにしろもう80を越えている。妻には心配ならいつでも帰っていいよと言っておいた。
▼僕の父の方は、二泊三日で東京の喜寿クラス会に参加するとブログに書かれていた。身体の調子のよくなかった母も同行できた模様。楽しい集いになったことだろう。ちょうど大型台風と台風の間を縫っての奇跡的な日程である。日本の平和と安定に尽力してきた世代に、お天道様も微笑んでくれたに違いない。我々の世代も後に続かなければ。
▼7月末から手がけている物件が本日竣工を迎える。昨年の一期工事を含めると足掛け二年のプロジェクトである。手元のデータを整理していると、最初の調査写真に2008とある。話が出ても景気が悪いとポシャリ、また話が具体的になって予算がつき、入札して受注し工事が完了するまで約7年。これくらいの年月はあっというまに過ぎる。こんなことを何回か繰り返せばすぐに定年だ。
▼昨夜は補修にきていた現業の先輩を誘ってホルモンで軽く打ち上げ。店のテレビにサムラゴーチ氏の謝罪会見のVが流れている。「こんだけ喋れて聞こえないわけねんだ。俺よりはっきりしゃべってるでねか。わかんねえわけねえ」と北国訛りで言う。この人、社員旅行で韓国のKARAOKE(パックに含まれている)に行った時も「自分たちでこんなことしといて何が従軍慰安婦だ」と毒を吐いていた。何もカッコつける必要のない人たちの本音には一理あると思う。
▼いっしょに誘った孫請けの作業員は、僕と出身地が近くてびっくりした。かといってそれで極端に盛り上がるわけでもない。こちらに出てきて30年、勤めていた鉄工場をやめて15年という。あっという間の人生だ。例の自衛隊を追い出された使えない人夫と同じ会社の人だが、彼よりずっとよく動く。最近彼の姿を見ないのでどうしてるかきいてみると、生活保護を受け始めたらしい。それが正解だ。
▼一時間で生ビールを3杯飲んで即解散。うちに帰って何事もなかったように夕飯を食べ、デザートのアイスクリームを食べる。肥るはずだ。でも孫請けの人たちの人生にはないものだ。いつものように「ぴったんこカンカン」と「金スマ」を続けて見る。安住アナは出ずっぱりである。名実ともにTBSの看板アナだ。人生としては一番うまくいってる方だろう。でもあっという間であることに変わりはない。
▼たまにアルコールが入ると効果テキメンである。不眠症気味だったのがいつの間にか眠っていた。すると夢の中に恩師が現れた。ところが稽古が終わり礼をして顔をあげると見たことのない若い男である。そうだ、先生はもう亡くなられていないのだと気づき、なんともいえない心細さに目が覚めた。同時にその存在感にしばらく圧倒されていた。還暦にも満たない短いものだったが、とてつもなく大きな星だ。
▼表題はエレカシの唄のタイトル。日本のポップス史に残る名曲だと思う。