いつか来た道

土曜の雨の後、日曜は曇天の蒸し暑い一日となった。夕方から夜にかけてもう一雨降った後、風が出てきた。今日文化の日は三日ぶりに晴れ間がのぞく行楽日和だが、あいにく仕事である。世間的には三連休らしいが、僕の場合正月連休でやっとそのくらい。普段は週一休めれば御の字だ。
▼土曜日はブログの更新&パワーズの「三人の農夫」を読みきり徹夜になった。もっとも大半は、毎晩夜遊び朝帰りの長男に諫言のメールを送っていたのだが。「このまま逃げ回る人生でいいのか?」という問いかけに対し、「オレにどうしてほしいの?」と開き直る彼に二の句が接げない。「今まで放っておいて、なんで今になって干渉する?」まさにその通りだ。
▼なぜこんなことになったのか。子供の教育に迷いなくあたれるほど自分の歩んできた道に自信が持てなかった。そこにきて彼がデキがよく手がかからない子だったことに甘えてしまった。我ながらものわかりのいい親であることに満足していた。てっきり彼にもそう思われている気でいたら、「弟ばかり可愛がって」と言われた。小さい頃はうるさいくらいかまった方がいいのだ。そして大きくなったら尊重する。これじゃあまるっきり逆じゃないか。
▼「オレは自分の人生を失敗だなんて思ってない」と強がる彼。強がりでなく本当にそう思っているのかもしれない。しかし僕の子育ては、少なくとも上の子に関しては失敗だった。僕も彼も、まずは失敗を失敗と認めることが大事だ。そして僕はそのことを彼に率直に謝らねばならない。そこからしか何も始まらない気がする。人は誰でも自分は無謬だと思いたいものだ。それが相手の非ばかり責めることに繋がる。
▼上の子は徹夜のまま日雇いのバイトに出かけた。お金を貯めて来月にはうちを出るという。考えはないが意地はあるようだ。僕も徹夜のまま妻と買物に出かけた。スーパーの朝市で野菜を買い、帰って美味しいパンで缶ビールを一本だけ飲んで寝た。土曜の大会で駅伝を引退した下の子は陸上部の友だちと朝から高校の駅伝を観に行った。彼もこれからが本番だ。上の子と僕のやりとりをじっと聞いているので、何かを汲みとってくれればいいと思う。
▼夕方妻が友人と映画を観に出ていったのと入れ替わりに下の子が帰ってきた。起きたばかりの僕に妻が作っていった肉ジャガと味噌汁を温め、ご飯をよそってくれる。二人でゆっくり夕食を食べ終わった頃、上の子が帰ってくる。下の子は同じようにかいがいしく兄の世話をする。入れ替わりに僕は本を持って寝室に移動する。われら現代日本の三人の農夫はいったい何処に向かっているのだろう。
▼さすがに疲れたのか二人ともすぐに寝てしまう。子供たちが寝静まる中、先週大人買いした三冊のうち、「優雅なのかどうか、わからない」を読みながら妻を待つ。途中でお皿を洗い、床に散らばった洗濯物を洗濯機の中に入れるだけは入れておく。帰ってきた妻が今観てきた映画のことを一方的にしゃべって寝た後も読み続け、日付が変わる前に無事読了。
▼僕と同い年の主人公が、離婚して引っ越した先の吉祥寺の蕎麦屋で、離婚の元になった別れた浮気相手と偶然再会する。こう書くと下世話な話に聞こえるが、この主人公がなかなかスマートなのだ。謎めいた大家の老女から借りた一軒家をセンスよく改装してゆく。出版社に勤める主人公は著者の分身だろう。彼はアメリカの大学に留学したデキのいい一人息子に青い目の彼氏を紹介されても理解を示す。
▼我々の世代は、他者との関わりにおいて分別を旨とするほかないのだ。なぜなら正直な気持ちを吐露することはスマートじゃないから。北欧家具やオランダ絵画についての固有名詞や、荻窪→渋谷→吉祥寺など具体的な場所の記述も多いが、村上春樹というよりは盛田隆二に似ている。僕の目指す方向じゃないと思う。
▼今日は一日事務所にいて、懸案の書類と見積に目処をつけた。定時に帰ったが、既に長男はバイトに出かけた後、次男は駅伝の打上げで不在だ。妻と二人で夕食をとり「仕事の流儀」の五嶋みどりを見る。我々バブル世代は、この世界中を飛び回る天才少女、彼女の弾く名器、演奏旅行のホテルや衣装に注目するが、彼女の音に本当に耳を傾けただろうか。我々バブル世代は本質的には身も蓋もない現実を、ライフスタイルとやらの虚飾で糊塗しているだけなのかもしれない。

夕食はパスタにきのこパン。夫婦だけで夕食をとっていると、ふいに漱石の「門」が思い出された。