現代の寓話

昨日一日中降った雨が今朝まで残った。けっこうな量である。これでいよいよ寒くなりそうな気配だ。
▼平日はほとんど現場がないので、昨日は一日土木の仲間の手伝いをしていた。雨の中、貯水池の農業用水の水量を瀬木=堰で調整する。彼は東北の出ではないが、確かに「セギ」と発音した。土木ではポピュラーな用語なのだろうか。瀬(勢いよく流れる水)に対して木で作る堰と理解したが、パソコンの辞書では簡単に出てこない。
▼要するに、貯水池から用水路への水の出口を板で堰き止めるのだが、板切れだけだと水圧に負けてたわむので、桟木で裏打ちして補強してやる。相方がその場で釘を打っていると、折からの雨で手が滑ってトンカチを池に落としそうになった。「あぶね」とつぶやくので、「金の斧、銀の斧の話みたいだね」と声をかけたが反応がなかった。
▼改めて暗い水面を見つめる。底知れぬ緑色だ。どれくらい深いか想像もつかない。こんなところに落としたら一巻の終わりである。昔の人が過って斧を落とし、取り返しのつかない気持ちで茫然とこんな水面を眺めていたら、早晩金の斧、銀の斧みたいなお話が生まれて何の不思議もない。金だろうが銀だろうが、きっとそんなことはたいした問題じゃないだろう。
▼おとぎ話の沼や池と違って、貯水池のコンクリート壁には深さを示す目盛がついている。ポンプで水を抜くこともできるだろう。だから物理的にはトンカチを取り戻すことは不可能ではない。しかしここでいう水面とは、象徴的な意味で人間が生きられる世界と生きられない世界の境界のことである。童話で語られる世界のほとんどは、「そこから先は人間が絶対に行けない場所」のことだ。
▼現代文明社会がここまで発展する前は、このような異界の入口が自然界のそこここに口をあけていたはずだ。現代人とは、この境界を意識しない人のことである。落としたものの価値と、潜水なり排水なりその回収にかかる費用を天秤にかける。全ては経済合理性で決定される。世界は均質な空間で、人類が行こうと思って行けないところはどこにもないと信じている人。
▼人間が生活する範囲から、そのような開口部がすっかり消えてしまった代わりに、現代では思わぬところに落とし穴が待っている。具体的にはフクシマやチェルノブイリがそうかもしれないし、御嶽山や韓国の沈没船もそうかもしれない。これらの事故は、少なくとも人間が行きたくても行けない場所があることを十二分に示した。特に放射能でなくても、ただの水で充分すぎるくらいだ。
▼絶対多数のクルーで順風満帆の安倍内閣の航海に、俄かに解散風が吹き始めた。まるで小泉郵政解散にそっくりだ。だがいつまでも師匠のマネをするだけでは人心はつかめないだろう。消費税据え置きで国民に信を問うと言われているが、そううまくいくかな。不安要素はある。ひとつには郵政民営化では変革する側だったのが、今回は現状維持を問うものであること。ひとつには拉致問題で目に見える成果をあげていないこと。
▼それ以上に野党がひどいので、おそらく消去法で結果は再び自民党だろう。しかし支持率が高いうちに解散するのと、追い込まれ解散のどちらが有利かだけを天秤にかけ、重要政策課題は選挙に勝った後で結果をお墨付きにゴリ押しするやり方でいいと高を括っていると、予期せぬ難破の憂き目に遭うかもしれない。
▼ここしばらく見積処理が続いていたが、いよいよすることがなくなってきた矢先、社長に呼び出された。「とにかく何もするな。遊んでていいから」と再度クギを刺される。「社命でもお客さんの依頼でも同じことだが、言われたことに対応するレスポンス型ではなく、目標を先に決めてそこに到達するために何をすべきか考えるやり方に改めないなら遊んでていい。そんなの仕事をしているというポーズ、エクスキューズにすぎないから」という意味だ。
▼重い宣告である。明日からどうしよう。ホントにしばらく遊ぶ勇気も必要かも。それで自分が変われるなら。変わるために。

昨日は今年初鍋。

今日は豚キムチ煮しめにパプリカサラダ。