サラリーマン車を買う

予報通り一気に冷え込んだ。それでも昼間の車中は暑いくらいだ。それだけに陽が落ちてからの寒さは身に染みる。
▼昨日はその寒空の中を、今年初フリースを着込み同僚と飲みに出かけた。接待用に新しいお店を開拓する目的で、初めて入る割烹居酒屋に行ってみた。以前から目星はつけていたが、やはり自分で確かめないと安心できない。ぶっつけで入ってよくなかったではすまされない。
▼思った通りなかなか感じのいい店だ。個室が狭いのが難点だが、お酒の種類、料理、雰囲気、コスパのどれも合格。その場で来週の接待の予約を入れる。二軒目も来週の流れを予行演習。三軒目はもう二年以上行ってなかったお店がつぶれてないか確認。ここもまた別の機会に使えそうだ。
▼一口に繁華街といっても、駅や通りを挟んで広範囲に広がっている。移動する際にお客さんを長く歩かせないように、一次会と二次会のお店は位置関係のセットで考える。単純に誰も長く歩きたくないこともあるし、移動の途中で人に見られるリスクが高いなら、個室のお店を選ぶ意味もなくなってしまう。
▼加えて先方の地位や会合の性格に応じてランク別に何パターンかは用意しておきたい。新規のお店はいくら知っておいてもいいくらいだ。まあ半分は自分でもくだらないと感じながら、どの店も小一時間の駆け足で同僚と別れ、四軒目は妖艶なママの店に。もう終電まで間もなかったが、最後くらいは自分の行きたいお店に。
▼車を買い替えることになった。今の車がこちらに越してきてすぐ、その前が結婚してすぐのことだったから、それぞれ10年近く乗ったことになる。つまりは結婚して20年が過ぎた。早いものだ。今後もだいたい10年は乗るとして、死ぬまでに乗れる車はあと一台か二台。経済力によって多少の違いはあるが、普通の人が乗り換えられる新車はせいぜい四〜五台。そう考えると人が一生にやれることなんてたかが知れていると思う。
▼初代はベビーカーが乗せやすいハッチバック。二台目はワンボックスカー。これは大人数を乗せる子供の部活の役に立った。今度の三代目はハイブリッドにした。主に妻が、時々僕と上の子が一人で使うことになる。機能より燃費重視だ。10年後20年後の買い替え時期にはどんな車が出ているだろう。電気自動車か燃料電池車か。その頃には自動運転になっているかもしれない。
▼こうしてみると、何も考えていなかったつもりで、意外にもその時々で結果的に最適と思える選択をしているものだな。なにしろ高い買物だ。単に覚えていないだけで、よく吟味して慎重に選んでいたのかもしれない。だが、そういった単純な車種の選択以上に考慮しなければならないこともある。
▼どのメーカーの車を買うか。最初の時を除いて、つまり今度買うものも含めてこちらに越してきてからの二台は、それぞれ営業目的の購入である。一台目は僕が現在担当しているメーカーのもの。今度のは、これから入り込もうとしているメーカーのもの。家や車などの高価な買物で、そういうことから自由に選ぶということはありえるのだろうか。
▼不自由だと嘆いているのではない。むしろその種の選択肢がなかった最初の購入の時には、実年齢は別にして、僕はまだ本当の意味で社会人になれていなかったような気がする。大人になるとは、この「つきあいの体系」のどこかに入り込むことだと思う。それは自分がどこで生きていくか、どの母集団に属して生きていくのかという人生の選択に直結する問題だ。社会人とは、そのことに意識的である人のことだと思う。
▼どの会社に入るかで、そういう大枠はあらかた決まってしまう。メーカーに勤める人が自分の会社の製品を買うのは当然だが、おそらく普通の人が想像する以上にその裾野は広い。関連会社はもちろん、二次三次の部品メーカー、僕のような土建屋までそのネットワークに組み込まれている。わかりやすく言えば仕事をもらう代わりに車を買う。
▼ちなみに僕の会社の社用車のほとんどは、僕が買った二社以外のメーカーのものである。すなわち会社の売上の半分以上がそのメーカーの仕事で占められている。つまり僕は会社の中では傍流ということになる。乗っている車でそこまでのことがわかる。僕の社用車は当然担当メーカーのもの。会社として年間の割当があり、今年は僕の社用車が乗り替わりで一台、下請の人が二台買ってくれたのでノルマ達成。そうでなければ今度買うマイカーも再度同じメーカーにするところだ。
解散総選挙が確実になりつつある政治の世界も、国政から地方議会に至るまで全てこの「おつきあいの体系」と考えればいい。誰を応援するかは会社で決まっている。こちらに越してきてから、選挙も車の購入と同じように、僕の中でまるで性格の違うものになった。微々たるものに変りはないが、その時々の気分で自由に選んでいた時よりも、一票や一台が意味を持つようになった気はする。
▼マスコミは「政治とカネ」と騒ぐが、社会とはそのものズバリ利害関係の総体のことではないのか。仕事をもらう代わりに車を買う。票を入れてくれた人に恩返しをする。単純に自分がお金をやりとりする経済圏のことだ。お金はその集団の中をぐるぐる回っている。グループ間を横断するお金もあるが、グループ内のお金の流れの方がはっきりとよく見える。その太い血管の末端で毛細血管的に滲むのが、主婦や学生の消費活動と思えばいい。
▼学生の頃は、資本主義経済は自由で社会主義経済は不自由だとか何の意味もないことを考えていたが、今の僕は経済というか世の中を、そのようないくつかの利害関係グループの集合体だと感じている。どのグループに属しても暮らしぶりに大差はない。共産党には共産党の、公明党には公明党の体系がある。しかしどこの集団にも属さないというのは、自由というより単に、学生であり主婦でありマスコミであり無党派であり数多の西成のおっちゃんだということにすぎない。

今日は昨日のヨガカレーがスライド。