水泡に帰す

今週は先月完了した大型物件の手直し工事。最終日の木曜、予想外のスポット的な雨に祟られ一日延長してしまった。前回エントリで「天気のことはニオイでわかる」みたいなこと書いた手前恥ずかしい限りだ。やっぱり神様いるな。天狗になるとすぐこれだ。
▼その夜は会合。先週下見した割烹居酒屋から熟女クラブのコース。熟女といっても40代。我々50前後のオッサンからすればドストライクである。はたして偶然帰る方向が揃って同じだったタクシーの中で、お二人とも「今日は楽しかった」を連発していた。予習した甲斐があったね。しかしこういう席はいくら飲んでも酔えないな。泡の水を飲んでいるようなものだ。
▼人生の浪人中の上の子は、名前を書けば入れる大学に行くのをやめたらしい。公務員専門学校に行って資格をとってムニャムニャ…もう僕には何も話さないので詳しいことはわからないが、妻によると要するに働くそうだ。体育の先生になってバレー部の顧問になるという夢は簡単にどこかへ行ってしまったようだ。
▼彼は今、時の人逸ノ城と同じ帯状疱疹で苦しんでいる。過労とストレスで身体が弱り、幼少期に罹患した水疱瘡ウイルスが再活性化する病気だから、半分は自身の夜遊びによる不摂生、半分は僕の小言によるストレスが原因だろう。もういろいろ言うのはよそう。こういうことは周りがいくら言ったところで本人が気がつかない限りどうしようもない。
▼親としては、浪人中に広い世界を見て視野を広げようという発想でもないのかと歯がゆいが、それも当然。いかんせん親類縁者のどこを探しても一人として海外に縁のある人は見当たらないのだから。人間生まれてこの方見たことも聞いたこともないことを想像しろという方が無理だ。
▼子供は親の背中を見て育つ。部活以外何ひとつ努力したことがないナマケモノの彼は、若い頃の僕の似姿だ。僕自身、不惑前になって妻に三行半をつきつけられるまで、自分がダメンズなんてちっとも思ってなかった。上の子も言って今すぐどうなるものでもない。ストレスで帯状疱疹でなければハゲができるか胃潰瘍にでもなるのがオチだろう。生きているうちに気づけば御の字だ。
▼さて、衆議院が予定通り解散された。同時期に京都に彗星のごとく現れたとんでもない毒婦や、健さんの訃報のおかげですっかり影が薄くなってしまったが、それがどっちに有利に働くかはわからない。アベちゃんの解散会見を見たが言い訳がましくて聞いちゃいられなかった。政策や思想はともかく、資質としては菅さんにとてもよく似ている。
▼選挙の争点はアベノミクスの是非だという。アベちゃんたら、なんだか選挙になると経済最優先、選挙に勝つと経済そっちのけで安全保障ばかりやってる気がするけど気のせいかな。それはさておきデフレからの脱却を唱えるアベノミクス。デフレとはすなわち資産デフレのことだ。アベノミクスとは端的に言って、円安株高誘導によりバブル崩壊で失われた資産価値を復元する試みである。つまりは狙うはバブルの再来だ。
▼この間にわかってきたことは、価値は一様ではないということである。元々価値があって、それが棄損しているものについては元に戻るかもしれないが、元々価値のないものはもう戻らない。それこそ政府がやっきになって再生しようとしている地方であり中小である。すなわち平均的日本のことだ。だがそこに価値はない。あるのは生活だけである。地方の土地価格もそこに暮らす人の賃金も下がり続ける。上がるとすれば、それはバブルだ。
▼全く瑕疵のない制度はないかもしれないが、もはや選挙は民意を正確に反映しているとはとても言い難い欠陥制度になってしまった。まず第一に一票の格差。地方には都市部に比べ一人最大五票多く与えられている地域がある。二つには投票率の低さ。やっと半分そこそこの声を民意と言えるのか。三つ目に現代日本の抱える複雑な諸問題の全てに、一度の投票行為で意思表示することは可能なのか。
▼我々の票は、今や為政者の人質というか言質に利用されている。原発再稼働にしろ普天間基地移設にしろ、個別の問題については、それぞれの地域の首長選に、少なくとも地域住民の意志は反映されているはずだ。そこは無視して国政選挙の結果のみを国民の総意とみなす。人の意識はシングルイシューに傾きやすい。ひとつの争点についての結果をもって他の全ての政策の信任ととらえるのはすり替えというものだろう。
▼いずれにしろ選挙は水物。内閣改造に失敗して「この道しかない」と抜いた伝家の宝刀も、結果は蓋をあけてみなければわからない。考え抜かれたシナリオが水の泡になる可能性は十分にある。

金曜は煮込みハンバーグ。