マイルドヤンキーに生まれて

晩秋から初冬にかけてのこの時期は、天候が不安定だ。昨日昼過ぎに落ちてきた雨は、降ったりやんだり、結局今日の昼過ぎまで残った。予報ではこの後月曜にもう一回降って、その後は寒気が流れ込むらしい。12月に入ったとたん寒くなる。なんだかんだいって例年と同じパターンだ。
▼日曜は現場があるので代わりに土曜は休んだ。といっても元々月に二回ある土休だが。五年ほど前に、一月と八月をのぞいて会社が月二回土休を導入したが、僕自身はまだその通り土日が連休になったことはない。昨晩は夜更かしして赤坂真理「東京プリズン」を読みきり、途中ドキュメント72hの「さすらいのシャケバイ」を見、返す刀で前回ブックカフェで買いおいていた新書「最貧困女子」に手をつける。
▼今日は朝から続きを読みきり、引き続きやはり新書の「ヤンキー化する日本」にとりかかる。その間に、昨夜遅く回転寿司のバイトから帰った上の子が、雨の中再び肉体労働のバイトに出ていき、やはり雨の中下の子が駅伝の練習に出ていく。そして妻は午後からインスト代行トリオでご機嫌伺いにいくヨガボスへの手土産を買いにショッピングセンターへ。
▼上の子が大学をやめて帰ってきて以来、ここ3ヶ月ほど考えていたことが漸くまとまりつつある。夜な夜な友人たちとつるんで遊び歩く。それで何か悪いことをしているわけでもない。せいぜいパチスロ。たいていはファミレスか車の中でスマホをいじっているらしい。定職もないのに免許をとり、やたらに車に乗りたがる。かといって乗り回すガソリン代もないので、どこかの公園の駐車場に停めてスマホをいじる。彼が成人式のスーツを新調したがっていると妻からきいて、疑念が確信に変わった。
▼なるほど髪の毛は金髪ではない。ジャージなどだらしない恰好が多いが、服装もそれほど奇抜でもない。友だちはみな吸っているらしいがタバコもやらない。酒を飲むでもない。暴走族でもない。むしろ僕なんか学生の頃は金髪も金髪、あしたのジョーみたく白髪近くまで脱色した頭で毎晩酒飲んで大暴れしていた。しかし彼が、最近のマーケティング用語で言うところの「マイルドヤンキー」であることは疑いないように思う。
▼その定義はこうだ。スマホ、軽自動車、大型ショッピングセンターが三種の神器であるような、生まれ育った地方都市から出ていこうとせず、家族や地元の友人、先輩後輩など狭い人間関係の中で生きる。人生に高望みはせず、夢は幸せな家庭を築くこと。よく言えば現実的、悪く言えば夢がない。楽しみはイベント。ルーチンには土曜の夜、仕事が休みの友人と。その他にもなにかにつけてやれ県外に出た友人が帰ってきた、やれ中学の同窓会だとかこつけては集まる。その集大成が成人式だ。
▼連日ローカルニュースを賑わす未明の未成年電柱激突死亡事故や、式典で大騒ぎして会場から摘み出されるハネダシモノ(マイルドヤンキーではないホンモノのヤンキー)ではないにしろ、彼らの成功者(土建屋の社長や鳶の親方)のようなパワーもなく、勲章である持ち家と車3台を手にすることはできない。大手の三次請の部品工場のラインで、夜勤手当と残業代をあてにローンで軽を買い、うまく結婚できてもフルパートの妻と公団住宅で子供ひとりを育てるのがやっと。
▼昼過ぎに半日であがった上の子が戻ってきて、車で迎えにきた製造業の友人とスーパー銭湯に出かけていった。気のおけない友人と一週間のアカを落とす。最大のリラックスタイムだ。彼は一番のかきいれどきである土曜に回転寿司のバイトを入れていない。土曜の夜は彼らの聖域なのだ。それから妻がボスのご機嫌伺いに、下の子が駅伝部の友だちと遊びに出ていった。僕は彼が「もういらん」というスパイダーマンメガネがもったいないので、レンズを僕の度に合わせにいく。
▼「東京プリズン」はアメリカにホームステイした16才の少女が、東京裁判を模したディベートの授業で、天皇の戦争責任についてスピーチする話だ。小説の時空は、主人公が模擬裁判にのぞむ1981年のメーン州と、48才になった現在の東京を往復する。その現在で、彼女が「アメリカ島」と呼ぶディズニーランドのある新浦安の埋立地が、3.11の震災で津波にのまれるシーンが描かれる。
▼雨上がりの土曜の大型ショッピングセンターは物凄い人出だ。かつて紡績工場だった広大な駐車場に車をとめるのに一時間以上かかった。週末に郊外型ショッピングセンターに車で乗りつけ、買い込んだ食料品を大型冷蔵庫に詰め込む暮らしぶりは、さながらアメリカの片田舎のライフスタイルのミニチュア版である。もしもわが子がマイルドヤンキーだとしたら、それは端的に言って日本が戦争に負けたからだ。アメリカには文化までも完璧に降参しておいて、今中国や韓国に負けるのだけはガマンならないのはどうしてだろう。
▼もしもわが子がマイルドヤンキーだとしたら、その責任は車、スマホ、ショッピングセンターという利便性=アメリカンウェイオブライフを疑いもなく追求してきた我々親世代にある。なかんずく人生に快適な生活以外の指針を示すことができなかった僕自身にある。

金曜は和風パスタ。

今日は絶品カラアゲにスパサラに大根煮。温かい家庭に快適な生活も悪くない。それが問題だ。