ラストホリデイズ

見事なまでに清々しい冬晴れの朝である。下の子とその友だちを駅伝部の練習に送った駐車場から運動公園を見下ろす。冷たく澄んだ空気に、色づいた樹木が美しく映える。灰色の空の下で仕事中に弁当をかきこむのと、休日に成長した子供の姿に目を細めるのとでは、同じ場所でもこんなにも気分が違うものかな。
▼会社の休業日でもあり、土日と連休にした。次の日曜からは怒涛の年末、年度末工事が始まる。正月休暇を別にして、おそらくこれが今年度最後の休日となるだろう。3ヶ月遊んでいたのだからそれくらい頑張らなくては。何事も選択と集中だ。3ヶ月休んで3ヶ月働く。そのサイクルで1年分稼げればそれにこしたことはない。
▼午後は帰省が近づいてきた妻の新車の高速教習。妻が大ファンの「相棒」テラスのある富士川SAまでドライブ。

空気が乾燥しているせいか、富士山がやたら近くにくっきり見える。富士はやっぱりご霊峰だ。雄壮なたたずまいは日本人の心の拠り所だと思う。日が短い。東の方にいると特にそう感じる。そのかわり、西に向かう帰り道は、いつまでも仄かな夕闇に包まれていた。
▼昨晩は妻と二人でいつものブックカフェに。昼間聴いたラジオすっぴんのゲストが芥川賞作家の柴崎友香さんで、映画化された「きょうのできごと」のことと、「きょうのできごと」の登場人物の十年後を描いた「十年後のきょうのできごと」のことを話していたのを覚えていてそれを購入。柴崎さんは「また会う日まで」と「寝ても覚めても」を読んだ。才能のある人に特有の多作の印象。
▼同じテーマ(僕の中で)の康夫ちゃんの「33年後のなんとなくクリスタル」と33年前の「なんとなくクリスタル」もセットで購入。それから読みかけの北村薫「いとま申して2〜慶應本科と折口信夫」がおもしろいので、初めに出た「いとま申して〜童話の人びと」も購入。サブタイトルにあるように2が北村さんの父親が慶應本科の頃を書いたものだとすれば、これは旧制中学から予科までを書いたものである。僕も北村さんと同じで、時の移ろいの中を歩む人々の姿に興味がある。
▼何かが喉につかえたような隔靴掻痒の状態が続いている。若い頃は、そういう状態は自分の精神的な未熟さの表れだと思い、もっと修行を積んで動揺しないようにしなければと考えたものだ。何か悪い、あるいは未熟な状態が、精神的な成長、あるいは時間の経過によって解消されることを望んだ。だが今は、そういうものを抱え込んだまま生きていくのが人生だと思っている。
蓮実重彦先生が、どこかで「(問題を解消して)すっきりしてしまいたいという考えはよくない」というようなことを書いていた気がする。エロ本時代の新宿三丁目のマドンナが、いつもくよくよ悩んでいる僕に言った。「人間悩んだり苦しんだりしてるうちが華よ。だってそれがなくなったら生きてる張りがないじゃない?」今にして思えば、それは結婚を控えた彼女が自らに言い聞かせる言葉だったのかもしれない。
▼そのバーに二人いたマドンナは、ほどなく二人ともやめた。やめた直後に飲みに行った僕と遊びの王様が「○○ちゃんは?」ときくと、マスターは「やめたよ」と答えた。その途端顔を見合わせた僕らが腰をあげた時は、さすがにマスターもむっとしてたな。二人とも今は結婚して、それぞれ地元にいるときいている。もう十年以上音沙汰がないがどうしているだろう。
▼劇的に変わりたいという欲求をなだめすかしながら、それぞれに抱える問題を放り出さずに真摯に生きる人たちにも、時の経過とともに訪れる変化がある。彼女たちは今どうしているだろう。かつて僕の人生とすれ違った、今はもう交流のない人たちはみなどうしているだろう。そして僕はこれからどう変わっていくのだろう。その答えが書いてあるような気がして、つい本を買いすぎてしまうのだ。

金曜は鮭のムニエルにポテトサラダ。