人生の輝ける時

昨日の雨はかなり激しかった。朝から落ちてきた雨が午後には本降りになり、時折バケツをひっくり返したようにひどく降った。気温も昼間しんしんと冷え込んだかと思うと夜は生温かくてなんだか変な感じ。
▼この土日は冬休み工事の前哨戦。工事の内容も連休工事の準備だが、僕自身にとっても心の準備運動のようなものだ。あとは細かい点を微調整して週末のスタートを待つのみである。一年で一番楽しみな帰省の前に、とてつもない難関が待ち受けているのは毎年のことだ。
▼昨晩は妻の帰省前の最後のブックカフェ。毎週のように来ているので、さすがにもうそれほど購買意欲が湧いてこない。出がけに妻に「なんで図書館やブックオフを利用しないの?もったいない」みたいなことを言われたのでなおさらだ。コーヒーを飲みながら高橋源一郎文芸時評「あの戦争」から「この戦争」へを読む。
▼でもなんか落ち着かない。やっぱり僕は購入派というか積読派だな。ゲンちゃん、立ち読みというか座り読みしてごめんなさい。ダビングじゃないけど、こういうのって無銭飲食か万引してるみたいでどうもいけない。「読めない」から「手も足も出ない」まで読んだところで時間切れ。読めないどころかいつものゲンちゃん節がいっそう冴えわたっていたよ。
▼今日は午後から妻が車で帰省するので、上の子をバイト先まで送ってやった。この清掃のバイトは、彼が高校在学中からお世話になっているところだが、「そろそろ冬休みだと思って」と最近社長の方からメールがあったそうだ。大学はとっくに辞めているが、説明するのも面倒なので「はい、もうすぐ休みです」と言って、先週から行き始めた。
▼もうひとつの肉体労働のバイトも、社長にすっかり気に入られているらしい。さもありなん。ただでさえ人手不足の建設労働市場で、若くて日本語ができてその上気が利いていれば言うことはない。僕もこの業界にいるのでよくわかるが、日雇いをたのんで真っ直ぐ歩けて言葉がわかる人がくれば御の字だ。それ以上できる人がいれば、それは学生のバイトである。彼はもう学生じゃないけどね。
▼仕事が午前中で終わったので、出発前の妻の顔をもう一度見ることができた。休みの日の午前中は駅伝の練習の下の子は、今日は午後から野球部のクリスマス会である。熱心な親御さんから「野球やらないの?」ときかれるのがイヤだとずっとこぼしていた。そして僕は電車に乗ってわざわざ隣市まで映画「6才のボクが、大人になるまで。」を観に行く。

▼この映画は邦題の通り、主人公の男の子が6才から大学に入学するまでを描いたものだが、普通の映画と違うところは、主人公やその家族などの登場人物を、実際に映画の中に流れる時間と同じ12年の歳月をかけて撮影していることだ。主人公の彼やお姉さんが子供から大人へと劇的に成長をとげる一方で、離婚を繰り返しながら二人を育て上げる母親役も、二人に週末だけ会いにくる父親役も同じだけ年齢を重ねる。
▼この映画が多くの人に感動を与えることは疑いえないが、その理由は何だろう。一般に、ある作品が成功しているかどうかは、それが見るものにどれだけリアリティをもって訴えるかによる。そしてそれはひとえに時間の描き方にかかっている。最も単純な方法は、物語の中で経過した時間と同じだけの時間を実際にかけることだ。だがそのシンプルなことが一番難しい。
▼僕はエロ本を作っていた頃、これと似たことを経験したことがある。ご承知の通り、エロ本というのはほとんどフィクションの世界である。痴漢したりレイプした相手がとんでもないマゾ女で、犯しているうちに感じてくる…なんて話があるわけがない。そうであってほしいという男の願望を形にしているわけだ。
▼その一方で、少数だが本物のマニアも存在する。彼らは自らの存在を証明するために、自分たちのプレイを写真にとって投稿してくる。しかしそれぞれの写真がいくら刺激的なものであっても、作り手がそれらしく拵えた写真と、少なくとも理屈の上では差別化することはできないはずだ。もっとも本物のマニアの写真は、実際独特の雰囲気があるものだが。
▼ところがある日、編集部にとんでもない投稿が届く。それはある女性が自ら綴った写真つきの調教日誌だった。十代から三十代くらいの長きに渡って、一人の女性の経年変化をとらえた膨大な写真のリアリティは筆舌にに尽くし難く、彼女の独占手記を巻頭に配したその号は、僕が編集人として関わった雑誌の中でダントツに売上がよかった。
▼この映画が成功しているもうひとつの理由は、主人公を男の子に設定したことだと思う。同じテーマでお姉さんでもよかったはずだし、結婚と離婚を繰り返す母親が主人公の、あるいは父親との毎週末の交流を主題にした別の映画もできただろう。女の子なら放っておいても大人になるのは早い。主人公の男の子も、あと少しもすれば若気の過ちで子供を作った父親の年になる。そこから先は、映画の中でも描かれている父親の人生としてみることができる。
▼だが人生のある一時期を切り取って見せるのなら、それは「少年時代」以外にない。なぜならそれが一番輝いて見えるから。僕は映画を観ている間中上の子のことを考えていた。上の子もまさに今その季節にいる。眩しくて目を細めるしかない季節に。