身捨つるほどの覚悟はありや

今日は一週間前からの予報通りピンポイントの雨。傘マークがついている時間通りに降り、やんだ。この精度の高い予報によれば、大晦日に天気が崩れた後、三が日の列島は大荒れだそうだ。ゆっくり寝正月と決め込むかな。
▼師走というくらいだから、年中走りまわって小物感全開の僕なんか全速力の年の暮れである。怒涛の連休工事も早や中日を過ぎた。トラブル続出だが今のところなんとか切り抜けている。と思いたい。そう思わないと気になって年が越せない。気がつけばテレビは歌番組と年末特番とニュースハイライト。こうして何もかもあっという間に過ぎてゆく。
▼さて、今年を振り返ると、個人的には年男ということで年頭には転機の年になると思っていたが、早すぎてこんなに変化のない年もなかった。それとも気づかないだけで何か重大な変化があったのかな。ひょっとするとこのスピード感が最大の変化かもしれない。時間感覚に不可逆的な変化が生じた。まあ転機は主体的に起こすもので、待っていて起きるものじゃないけどね。
▼前半飛ばし過ぎて後半はパンをかじる生活の我らが三バカの冬季合宿。昨夜は子供たちが二人とも友だちと食べるというので、自宅でひとりテレビを見ながらの夕食。レンジでごはんにカップラーメンに会社のお歳暮の山分けの佃煮。ひとりならこれで十分だ。世田谷一家殺害事件のプロファイルからNスぺ「子どもの未来を救え〜貧困の連鎖を断ち切るために」を経てMr.サンデーのコンビニ土下座映像ネット配信へ。
▼世田谷一家殺害は、顔見知りの怨恨というFBI捜査官のプロファイルに説得力があったが、都の公園化計画により住宅が減ってゆき、犯行当時には被害者一家の家しか残っていない航空写真が気になった。連休工事で毎朝早いので、Nスぺが始まる頃にはウトウト。コンビニ恐喝は、あまりの醜悪さに逆に目が覚めたが、悲惨な内容の番組を立て続けに見たせいか、吐き気がしてもう少しでもどすとこだった。
▼公のトピックとしては、やはり師走の総選挙を挙げる人が多い。その意味では選挙と同じく、今年は「安倍総理安倍総理による安倍総理のための一年」だった。野党の選挙準備が整う前に解散したい。理由は後付で構わない。まさに自作自演の自演乙(?)である。多くの人に抵抗感のある安全保障やエネルギー政策だけでなく、まあまあ人気の経済政策に限っても、僕は安倍政権の目指す方向に否定的だ。それは以下の理由による。
アベノミクスとはつまるところ資産バブルによるトリクルダウンである。即ちまず富裕層が潤うことで、おこぼれに与る下々の者も漸次潤うという理屈だ。要するに現状のヒエラルキーを固定化しようとする動きである。「女性活用の活用という言葉に腹が立つ」ではないが、「みなさんのところに行き渡るまでもう少し待ってください」と言われて誰も頭にこないのだろうか。「そんなんいるか!物乞いじゃあるまいし」という気骨のある人は日本にはもういないのかな。
▼Nスぺの子供が四人いる母子家庭では、扶養手当7万円と母親のパート代8万円の月15万で暮らしていた。家賃や光熱費などの固定費を引くと食費は月4万程度。貧困世帯の食費1日1人350円程度は、平均の約半分。合宿中の僕らは1食500円×3食=1500円で、標準のさらに倍だからかなり贅沢なことはまちがいない。
▼番組では、生活苦で体を壊して救急車で病院に担ぎ込まれないと誰も気づかないほど、貧困とは見えにくいものであることが強調されていた。先日読んだ「最貧困女子」にも同様のことが書かれていた。こういう人の中には、生活保護などの公的制度そのものを知らない人が多い。土建屋のパート事務をしている妻は、被扶養者の名前を書いて各種保険の加入証明を添付するだけの簡単な年末調整の書類すらまともに書けない人が多いとこぼす。
▼誤解を恐れずに言えば、本当に救いの手が必要な人たちとは、ある意味文盲に近いリテラリシー弱者ではないか。第一に各種社会制度に無知であり、第二に知っていても手続きを遂行するだけの忍耐力や読み書き能力に欠け、第三に自らの窮状を周囲に訴えるコミュニケーション能力もない。
▼例えば大阪の、個人でも組織的な貧困ビジネスでも構わないが、ナマポを不正受給するような人たちは、本当に公的支援を必要とする先述の人たちと違う人種だというのはお分りだろう。山本太郎の入党でギリギリ所属国会議員5人の要件を満たし、滑り込みセーフで4億円の政党助成金を手にする「生活のためのユカイな仲間たち」のテクニックも同じ能力である。
▼どんなにセーフティネットを充実させても、制度を利用するのは常にこの手の輩である。また制度とはそもそもそういうものだ。本当に必要な人には届かない。ましてグラスをこぼれたシャンパンが届くはずがない。効果のある唯一の方法は、番組で食糧支援団体がやっていたように、食糧の入ったダンボール箱をピンポイントで直接宅配し、ついでに家庭訪問してケースワークし、さらに自分たちが運営する団体で働いてもらうしかない。でも天気予報にできて何故われわれにできない?
▼その理由はこうだ。「貧困の連鎖を断ち切る」とは、裏返せば富裕の連鎖を断ち切るということだ。だからできない。階層が流動化し、従って社会が不安定になる。貧困の克服には既存の社会システムを転覆することも辞さない我々自身の覚悟が問われている。

一昨日はスマホのイヤホンがあるないで兄弟で大喧嘩の後、下の子と二人でラーメン店に。帰省して本場のラーメンを食べる前の前哨戦だ。

そして今日は近所のとんかつ屋で年末恒例のバカ三人今年最後の晩餐。僕はトンテキ、子どもたちはロース170g。うまかった。我々はかなり恵まれている。