徒手空拳

正月休みも終わり、今日から本格始動。午後から雨の予報が朝から降り始め、午前中のうちに本降りになった。雨勢はかなり強く、1月の雨の降り方ではない。やはり今年は暖冬なのだろうか。
▼その雨の中を終日挨拶廻り。会社も取引先も昨日が仕事始めだからマイペースなものである。昨年との違いは2つ。社用車を洗車してネクタイを締めてみた。少しだけ清々しい気分だ。やっぱりマイペースなもんだ。初日は定時であがる暖気運転。妻と下の子と恒例のお土産をめぐる大喧嘩も済ませた。
▼さて、正月の読書である。正月休みは毎年地元の大型書店で大人買いするのが通例だったが、昨年末にブックカフェに行く習慣ができ、その際に購入した未読の本がたくさんあったので持って帰って読んだ。読初めがヤスオちゃんの「33年後のなんとなくクリスタル」ってのもなんだが、寝正月ならぬ三食以上食い正月の間になんとか読みきった。
▼33年前といえば1981年。僕はまだ中学生だ。バブルも僕の東京での学生生活もまだ先の話。社会現象となった「なんとなくクリスタル」のことは知っていたが、学生当時は全く食指が伸びなかった。巷間伝えきいた内容から自分の目指す方向とは違うと感じたからだが、33年後の今両方一度に読んで、バブルという時代も個人の趣味嗜好も関係なく、単に僕とヤスオちゃんでは住む世界が違うということがわかった。
▼同じ大学の大教室に肩を並べていても、高級マンションと見紛う女子寮に入り、ブランドものに身を包み、ハイセンスな洋楽を聴きながら、なんとなくクールでクリスタルなアーバンライフを送るのと、しがないサラリーマンの子息が、ガリベンして田舎から上京するも、風呂なし便所共同のボロアパートで、オナニーしながら長渕聴くのとでは人種が違うというものだろう。
▼「なんクリ」に登場する男女は、バブルのずっと以前から、バブルを経て中高年に差し掛かった今も、なんら変わらないバブリーな生活を送るお金持ちだ。神戸芦屋出身で、商社勤務の親を持ち、学生時代からモデルの仕事をするような容姿にも恵まれた帰国子女が、そのような環境で自然に年を重ね、33年後の今、年齢相応に内外の諸課題に心を傷める。
阪神大震災の原チャリロジスティックボランティアから、長野県知事時代の脱ダム宣言、国会議員時代も含めて、ヤスオちゃんの行動や主義主張に頷ける部分もないではなかったが、同時にクリスタルなペログリ生活の内幕を暴露されると、理想主義も所詮は特権階級の余裕の産物だと思えてくる。
▼今回僕の琴線に触れたのは、ヤスオちゃんの東北大震災関連の活動でも、恋人の南アフリカで眼鏡を配るビジョナリー運動でも、二人が都心の三ツ星レストランでシャンパン飲みながら語り合うこの国の未来でもなく、僕がシーパップの保険適用で感じたのと同じ、世の中の典型的なお金の流れ方の具体例である。それは次のようなものだ。
▼子宮がんの予防措置として、厚生省は定期検診よりワクチン接種に積極的である事実を、小説では二人の恋人の会話の中で長々と説明する。子宮筋腫=子宮がんではなく、予防には経過観察を含めた検診が有効であること。ワクチン接種には学童一人あたり4万8千円の高額な費用がかかり、それを年少者扶養控除を廃止して捻出しようとしていること。そこまでして接種するワクチンに科学的有効性の担保がないことなど。
▼そこまでしてワクチン接種の旗を振る厚生省の意図は明らかだ。税金を製薬会社に回すこと以外ない。薬害エイズの構図そのものである。安倍某という医師が研究費名目で多額の寄附を得ていたとか、持永某という厚生族議員に直接賄賂が渡っていたとか、特定の個人の話はどうでもいい。世の中がそういう風にできているということを、まず国民ひとりひとりが理解することが大事だ。
▼その上で世の中どうせ変わらないと諦めて無難に生きるもよし。世の中を変えるために戦うもよし。ただ一度は世の中の仕組について考えてみるべきだと思う。生きるとは端的に言ってお金の奪い合いである。仕事とは組織ぐるみのシェア争いだ。そしてその大半は公金なのである。分配の権限を持つ官僚が、見返りの期待できない弱者にお金を回すはずがない。それこそムダ金になってしまう。
▼自分のために戦う必要のない人(ヤスオちゃん=クリスタル族)は他人のために戦えばいい。さて、僕はどうするかな。自分(家族)のために戦わなければならない身としては、正直これ以上戦線を広げる余裕はないのだが、もうひとモガキしたい気はする。

帰ってきた日の晩は妻も疲れていたので餃子を食べに行った。

今日は今年初手料理のチヂミと写真にはないがミルフィーユ鍋。